掘り出された聖文 4
─縄文時代中期遺跡発掘調査の記録─






目次詳細
 第二章 答えのない世界 

  ・糸口

  ・対立のイメージ

  ・結界のイメージ

  ・回転のイメージ

  ・等質のイメージ

  ・反転のイメージ

  ・変容のイメージ

  ・遠い世界

第二章 答えのない世界

糸口

 野積みにされた問題。それは誰もが思い巡らす

 縄文式土器の文様は何をあらわしているのか

という原初的な問題に集約されてきていた。

 整理段階に入り、土器の復元や実測に忙殺されながら、頭の中では、いつもそのことが渦巻いていた。

 こうした世界へ入り込む糸口をつかんだのは、そうした調査現場とはかけ離れた場所であった。

 町はずれの、線路沿いから一本裏へまわり込んだ小路。まさか、こんなところに飲み屋があるなどとは思えぬ場所。そこへ十年以上も通いつづけている馴染みのスナックがある。

 雨が降れば、雨漏りのするほどの居心地のいいこの店の、奥まったカウンターが定席である。

 飲むと、言いたいことを言い合う会話のなかから、どれほどの発想が生まれてきたことであろう。

 この書の起源も、じつはこの席からはじまっている。

「ただだから記念にもらってくるけど、いくら歴史が好きでも博物館の解説は難しいのよね、あれは」

「じゃぁ、物語にでもするか」

 ぶっきらぼうに言うと、できるものなら作ってみなさいと言わんばかりに、いつものように豪快に笑う。

 ママさんの名は迎祐子。

 私の名にも「祐」の字があることから、それと気づいてからはいつも酔うほどに姉弟のような会話になる。

 その日もそうだった。姉のような挑発の嵐が過ぎ去ってからの、有線が流れるだけの店の中で、「はて?」と、さっきの言葉を拾い返す。

「物語ねぇー」

 こうしたときは、もう止まらない。シミュレーションしながら自問自答しているのだ。ママさんが割り込んでも、すぐにそれを取り込み、話は勢いづく。最後は、

「あぁー、おもしろかった」

で帰るのだが、こうしたときは家に着くまでの間が、実現へ向けての構想を練る重要な時間となる。そして、一週間後には、もっとパワーアップした会話が交わされることになる。

 あるとき。会話の内容は、子供の話から一気に迫りあがっていった。

「子供に絵を描かせて心理状態をつかむことができるのだったら……

 そうだ、そうした研究者に、土器の文様を見せたらどんな答えが返ってくるかな?」

「専門的に調べてる人なんだから、わからないことはないわよねぇー」

「ヨーロッパの宗教絵画は心理描写の世界……

 そうだ抽象絵画の世界もある。時代は違っているにせよ、絵画の方にこそ、幾何学文のもつ意味や構図にかかわる問題に蓄積があるはずだ」

 家に帰り、さっそく油絵科を出たかみさんに思いのほどを告げると、ユングの『人間と象徴』という本が実家にあると言う。

「こんど実家に返ったとき持ってきてあげるわ」

 違う世界を歩んできた者が一緒になるということはすばらしいこと。結婚観も一つ深まることとなったが、これほど書物を心待ちにしたことも滅多にあることではない。

 それが数日後にきたのである。

 うきうきしながら、半信半疑で読んでいく。「ウロボロス」、「無意識」、「円の象徴」。何だ、これは。

 「元型」、「対立物の合一」、うん、うん。その本を私なりに読みこなすが、こうなるとその系統の本がさらに読みたくなるものである。

 本屋へ行き、そこで見つけ出したのが『元型論』と『続・元型論』。ここでは、「集合的無意識」、「児童元型・神話にみられる」などという項がつづくが、それを読み終えたところで、なぜ自分の中の考古学において、これまで精神世界にかかわる問題を調査上の事象にとどめ、学問としては封印してきたのか、という最大の疑問をもつに至った。

 その後、ユング派のE・ノイマンの著書に出会う。それは本屋の棚で、瞬間的に背表紙の言葉が視線を止めるほどに、力強い表題であった。

 『意識の起源史』。そのテーマは「神話にみられる意識発達の諸段階」。項立ては「ウロポロス」「太母」「原両親の分離、すなわち対立原理」「英雄の誕生」「母殺し」

「父殺し」。

 それらは、克明な神話分析にもとづいて語られており、「植物シンボル群と男根崇拝」など、縄文時代にもみられる男根や蛇、猪、片目の顔面装飾などのモチーフに共通する課題も登場し、それらが世界各国の神話のなかでどう取り扱われ、意識発達のなかでどのように位置付けられるかが説かれていた。

 この書の巻頭には、ユングが彼の率直な気持ちをノイマンへ贈っている部分がある。

 それは研究者としての避けることのできない、自身の老いの意識からくる喜びと悲しみの交錯するディレンマであった。

 ユングは、多くの精神病の臨床事例のなから、無意識という闇のなかに、人間としての原初的な意識の秘められていることを問題視した。

 夢を、単なる願望の充足としたフロイトに対し、彼は無意識の自己表出と考え、その無意識に現れる共通した太古の記憶とでも言うべきイメージの存在を追求した。

 そして、、そこにみられるパターンを「元型」と仮定し、人類にとっての精神的な遺産である神話との対比をもって意識というものに理解をえようとしていた。

 しかし、その積み上げた終局的目標を、弟子のノイマンが大成したのである。それが『意識の起源史』。

 ユングは言う。私こそが、それをやり遂げたかったと。研究はその初期の苦しみを乗り越えることで、後へもつづき、開花もする。しかし、その過程がなければ生まれることはない。

 人として生きるには、人としての寿命もまた存在している。それを操ることなど、できはしない。研究者として過程のどの位置に生きることができたかが……

 ユングのディレンマがそこにあった。だが、わたしの生存する位置は、さらにノイマンより後にある。考えようでは、あらゆる近代諸科学の考え方を自由に集合させ、発掘調査に応用することが可能なはずである。

 こうしたことに気づいたとき、私はこれまでに大きな思い違いをしていたことに気づいた。

 それは、大半が失われたなかで現代まで残りえたわずかな資料を研究対象としなければならない考古学が、その方法論を構築するためには、進化論文化圏説機能主義構造主義と発達してきた人類学において、物の量的な基準と質的な基準から文化の異同を探ろうとする、文化圏説まで戻らなければならない、という妄信であった。

 ここでは、資料が部分であっても、それらの傾向により、なんとか文化内容を研究していくことができるのではないかと学生時代に考えていたのである。

 つまり、考古学は調査対象が歴史であるため、民族調査のようにすべての資料を手にすることができない、そのことでわたし自身が諸学との連携を薄めていた部分も多かったのである。

 さて、ここに至ってその妄信が払拭されたのであるが、それと同時に考古学での孤立感とともに、関連諸学がどれほど基礎資料に目を向け、連携をとりながら共通の土台を築いてきたかを思い知らされることになった。

 このことにより資料提示の方法を考え直し、、野塩外山遺跡の発掘調査報告書では問題点が、しっかりと他分野へも伝わるように心がけることとした。

 そのことはまた、いづれ到来するであろう縄文時代の本格的な精神世界の究明を予想し、諸学に土器文様を素材提供できるよう、土器実測図においても文様の全体を把握できる展開法の導入を必要としていた。

 したがって、整理作業では、実測作業を進める中で文様の観察が行きとどくことになり、その構成に重要な問題の含まれていることがわかってきたのである。

 これまでの縄文時代の研究において、精神世界を対象とするものがなかったわけではない。それらの中には土器文様の描写から、物語性の存在を指摘するものも見られたが、それらの多くは考古学における編年を機軸にする諸研究のなかから派生してきたものであるため、あるいは直接に民族事例との形状的な対比をもって究明しようとしていたため、自ずから限界があった。

 多くの土器を観察するなかで感じはじめていたのは、心理学や神話学に共有された論理的な基礎を踏まえてそれらを究明したらどうなるかということであった。

 そのことに、かすかな期待を抱いて、縄文式土器の文様に神話的なイメージが投影されているかという、初期段階の研究がスタートしたのである。

 

対立のイメージ

 発掘調査で出土した土器のうち、あるていど復元できたものは六十個体を数える。

 それらには酷似した文様は見られるが、形も文様もまったく同じという土器は見られない。似ているように見えて、どこかに違う表現が使われているのである。

 整理段階の当初には中山君や家本さんがいてくれたが、基礎的な作業を終えたいま、東野君との二人だけの作業がつづけられている。

「おもしろい話があるんだ。

 幕末の動乱期を生き抜いた勝海舟が、自らの心情を書き上げた『氷川清話』のなかでこんなことを言っている。〈外交の秘訣〉というところなんだが。たぶんこんな感じだな。

おれはこれまで、すいぶんと外交の難局に当たったもんだ。だが幸い一度も失敗したこたぁなかったよ。外交についちゃ一つの秘訣がある。

心は〈明鏡止水のごとし〉たぁ、若いときに教わった剣術の極意だが、外交にだってこの極意を生かせぬわきゃぁねえ。

おれはこれで少しも誤らなかったよ。

こういうふうに応対して、こういうふうに切り抜けようなどと、あらかじめ見込みを立てておくのが世間のふうだが、これが一番悪い。

おれなんざぁ、なんにも考えたり、もくろんだりすることはせぬ。

 と言うんだ。そうして、こうすることで機に臨み変に応じて事に処する方策が浮かんでくると。

 このことは、ユングも語っている。個別事例の大切さを解き、分析からえられたものをパターン化するのはよいが、個々の事例分析にあたっては当初からパターンで推し量っていくのはよくないことだと。

 つまり、資料に向き合うときには先入観をもつなってことだ。

 勝は、江戸城を無血開城するための西郷との談判のとき、朝早くふんどし一丁の姿で井戸端に立ち、禊ぎをして無心を貫いたとも言われる。

今の政治家はろくでもねぇ。自分の意見が揺らぐと、はなから人に聞きゃぁがる。人に聞きゃ、また  わからなくなって不安になるからさ、また別な者に聞く。

てぇしたもんだよ。自分の意見を殺しちまうことができんだから。そんなこって生死を分ける談判な  んぞできるわきゃねえのに。

亜米利加さんとやり合ったときとくらべりゃ今の政治家さんはよ……

 話が過激になったが、まぁこんな具合だ。

 だからというわけではないが、いままでの経験からしても、土器の文様を分析していくときに先入観をもたず、一つずつ純粋に見ていかなくてはならない」

 出土遺物の整理作業は、水洗い、出土位置の注記、接合、石膏復元へと進み、実測の段階へ入っていた。それまでの過程で、土器を見る目はあるていど慣らされ、おおかたの文様は頭の中でイメージできるほどになっていた。

 4号住居跡から出土した、胴部に帯状の文様が展開している土器の実測がはじまったころのこと。

「そういえば、形と一体化して作り出されている突起の部分にも文様があるのだから、装飾しようとする文様のイメージは形をつくる以前になければならないはず。

 例えば、形ができてから、さてどういう文様にしようかな、なんていうことは考えていない。作り出す前に形と文様のイメージがあるんだ」

 実測図を書いている手が止まる。

 「文様には描きはじめと描き終わり、つまり文様を展開させていくときの起結があるはすだよな?

 この土器ではどこなんだ。

 文様帯に、口の突起から垂れ下がる粘土紐が接続している、この場所が起結点か?」

 実測図を書く便利さのために、土器は手動のろくろの上に据えてある。その土器を指一本で軽く、しかし慎重に回転させながら、改めて土器をながめ返す。

「文様帯に変化を与えているのはここだけだから、ここ以外に区切りは考えられないな」

「文様のはじまりをここだとすると、左右どっちへ描いているのでしょうね?」

「それは右だ。

 なぜかというと、粘土紐の上に付けられている刻みがすべて右から突き刺されているから。

 もし左へ進んでいったとしたら、連続して付けていく刻みが次々手元へ隠されていき、間隔がとれやしない。だから右だよ。

 左利きの人が右から突くのは至難の業だから、つくった人は右利きというのもわかる」 

「そうすると、まず粘上紐で作り出されている空間だけ見ていくと、起結点にある最初の文様は鼓を立てたような文様」

「これと同じような文様が全部で四ヶ所ありますね」

「ほら見て。鼓形と次の鼓形の間には、それぞれ斜めの粘土紐で二分割された向き合う三角形の空間があり、右に惰円形の空間が付加されている。

 これが鼓形の空間を境にして右方向へ三ヶ所くり返され、そして最後の四ヶ所目のところだけが横広がりの楕円形だけの空間。

 つまり、粘土紐による文様の空間割は四単位で、そのうち三単位が同じで、最後の一単位だけが違う」

「空間割のなかに描かれている文様に、同じところと違うところがありますよ」

「一つずつ見ていこう。

 粘土紐の縁に沿う線引きは、輪郭取りのようにみんなあるから除外しておこう。まず鼓形。

1番目なにも描かれてない

2番目真ん中に縦線があり、右側へ交互の刺突が加えられている

3番目縦線があり、右側は空白だが、左側は一部破損により不明

4番目縦線のみ

3番目が一部不明瞭だが、3・4番目が同一と思われ、空白を含め三種の文様が描かれているようだな。

 こんどは鼓で挟まれたところを見ていこう。4番目は単一の楕円だからいったん置いておくとして、まず同じ構成でくり返されている3番目までを見ていこう。

 1番目、斜めの粘土紐で仕切られた向き合う三角形の左側。つまり上位の三角形。

 これはみんな同じ線引きの三角の輪になってる。

 だが、下位の三角の中の文様は変化している。

1番目三つ又

2番目三つ又に弧状の条線

3番目三つ又

 この向き合う二つの三角形の関係は、上位は変わらないが、下位は変化し、一つ置いてくり返している。

 次に、向き合う三角形の右に描かれている楕円区画のなかの文様を見ていく。

1番目線引きのループ文

2番目破損により不明

3番目無文

 これは多分みな違う文様になってるのじゃないかな。

向き合う三角形の空間の文様は1番目と3番目は同じだが、右の楕円形の空間の文様を加えると違ったものになり、そして4番目の楕円形だけの空間は、線引きの楕円

形の輪の中に縦の条線が引かれ、いままでの文様とはがらりと変えられている。

 さぁて、状況説明はこうだけど、全体として最も強くイメージされているのは何だろう。

「ぼくは、この向き合う三角形を作り出している斜めの仕切りが気にかかるんですよ。明らかに空間を分割しているようで」

「そうだな。

 基本は上下分割なんだろうが、斜めには左右の意識もなければならない、つまり右に展開していく文様の流れが意識されているはず。だからこそ次にくる楕円形も切り離せないものとなり、この三つの空間で一つの文様の単位が作り出されている。

 区切りのように配置されている、鼓形の空間に描かれた文様が変化しているのも、四単位にそれぞれ描くものが違うことを間接的に表したもので、そこで1番目から4番目の単位へ向かう流れを描出しているように思える」

「粘土紐で仕切られた空間に描かれているのは、輪状の三角、三つ又、ループ、条線……

「対立してる。その対立が重層しているんだ。

 ほら、それぞれの空間に描かれている文様はみな一種類だが、一ヶ所だけ三つ又に弧状の条線が引かれている。これが同一の空間にひしめき合う、最も小さな対立。

 次がそれらを片方に抱き込んだ、斜めの粘土紐で空間分割された、向き合う左上と右下の三角形どうしの対立。

 さらに、この向き合う三角形と右側の楕円形の空間との対立。

 その単位が同じ構成をもつ三単位のなかで対立しながら流れ、最後に4番目の縦の条線の引かれた楕円形の空間に対立していく。いや、集約されていくのかな?

 構図的にみれば、小さい対立が順次大きな対立を生み出しながら流れているんだ。

 向き合う三角形だけ見ると、三角形の輪は変化していないが三つ又は変化している。だから上は変化しないもの、つまりある種の安定した状態。しかし下は変化する状態。なにか象徴的だな。

 向き合う三角形に描かれている文様の関係がまったく同じ1番目と3番目でも、右横の楕円形の中の文様は違ってる。さっきも言ったが流れがあるんだよ。

 そう考えてくると、4番目の楕円形だけの空間のなかに条線が引かれている文様は、やはり、それらを統合した姿じゃないのか?」

「ですけど、その楕円は描ききれなくなり楕円だけにしたとも?」

「これだけの構成力があって、そんなことは考えられないんじゃないかな。

 条線を単独で使ってるし、寸詰まりでも斜めの粘土紐を入れられないわけじゃない。意図してるんだよ。

 突起の部分の文様を見ると、右に三つ又と弧状の条線、左は狐状の条線だけだ。三つ又と条線の関係は、下の文様帯でもそうだが、最小の対立にも存在し、最大の対立にも条線として存在している。

 ともかく、この場合は文様に三つ又を中心とする対立の重層があり、その両極に三つ又と条線の対立があるらしいってことかな」

 ところが、用事で部屋へ入り込んできていた若い事務職員が、

「上下があるんだったら上は空、下は地下。楕円は卵」

「ハハハハ、それは完璧な答えだ」

 それからというもの、寝ても覚めてもこの文様のことが頭から離れない。そして、独り言がくり返される。

「突起から垂下する粘土紐は、6号住居跡から出土した蛇身の表現と同じように左右から交互に竹管で突いた文様になっているが、これも蛇身の表現なのか?」

「文様をもつ突起が上にあるということは、土器の胴部に描かれているものはすべて下なる地下的な闇の世界をイメージしているのか?」

 そのくり返しが頂点に達したとき、私のなかの緊張の糸が切れてしまった。

「そうだ、考古学より、絵画の世界はもっと自由であるはずだ。抽象絵画の解説はどうなってるんだ」

 抽象絵画の本をめくり、幾何学文や抽象文を描くものを探し出す。

図説 吉原治良

すると解説には、

・幾何学的な線と形のモティーフが、対位法のように有機的な線と形のモティーフと対立しながら均衡をとる。ストイックなしかし清新な音楽的世界である。

・人体の一部や生物の内臓を連想させる抽象的な形体によって、生命の原型のようなものを暗示していいる。

          (『原色現代日本の美術8』前衛絵画 浅野徹より)

 一流の芸術評論家がこの土器を言葉として表現したらどうなるか?

 遠い記憶に、岡本太郎が縄文と弥生の土器について書いている本を思い出した。

 感性などというものは、個人的な感傷ぐらいにしか思えなかった若い日の自分が思い出されるとともに、渋谷文化センター内の本屋の奥まった棚の前に立ち、上から四段目あたりにあるその書の、題名と著者を見比べている自分が想い出された。

「馬鹿げているかもしれないが、制作意図を探るには、子供の描いた絵からその心理状態を読みとるような、感情を映し出す作業も必要だ。

 これだけひとつの土器を見つづけているのだから、一遍イメージでくくっていってみよう。自由にやってみることも大切だ」

 そして個々の観察事象から表されていったイメージは、

円や四角の全体性から生み出された、対立する三角のイメージ。口緑の突起から垂れ下がる蛇身的な帯が、下なる意識世界を映し出す。融即する円の全体性と三角の対立を内包する四角の全体性が、変容する四つ組の場面に展開する。

 こうした構図の意味を、錬金術(古代エジプトに起こりヨーロッパヘ伝えられた原始的科学技術)の数の理論や東洋の瞑想図のデザインなどから追求したのがユングである。

 彼によると、円と同様に四角の象徴するものは生命の基本的な要素や全体性で、この四角を対角線で二分することによってできる、それぞれ反対側に頂点をもつ二つの三角形は、対立関係を示していると説く。

 その対立とは、潜在的なエネルギーを意味し、このエネルギーのあるところには対立物の間の緊張が平衡を求めることにより、何かが動きはじめ、何かが起こることを指摘する。

 対立とは、たとえば上と下、明と暗、善と悪などの意識であるとし、さらに彼は、ヤントラと呼ばれる瞑想図に象徴される意味を探る。

 円の中に、上向きと下向きの二個の三角形が相互に入り込む形状を、男性と女性の神が一体をなす象徴と解し、これが対立物の合一を意味するものとして、意識と無意識とを含みもつ、心の全体性、すなわち自己をあらわしていると説く。

 抽象性を生み出す意識は何なのか?

 ということを念頭においてこの土器を観察すれば、そこには四角を対角線により分割した、ユングの言うところの対立する三角形がそこに存在していることに気づく。

 そして、下方の三角に共通して登場する三つ又の文様が、対立するものの、下なるもの、言わば暗いものの要素として理解され、2番目の右下の領域で三つ又と抱き合わせで描かれている条線が、さらに下・暗なるもののイメージのなかに引き起こされる対立の重層として、三つ又を下・暗、条線を上・明のイメージとして見ることもできそうである。

 この関係は、次に挙げる「結界のイメージ」で、さらに深められていくことになる。

結界のイメージ

 積まれた箱でおおいつくされた壁ぎわ、そのすき間の窓から見える景色。

 それは寒さとともに明度を増し、朝には空色に浮き立つ白富士が、夕には暮れ色に染め上がる黒富士が現れる季節を迎えていた。

 整理室と化した学芸員室の中では、相変わらず報告書を作成するための作業がつづけられている。

 土器の実測図は、住居ごとに急ピッチで進んでいるのだが、進めばすすむほどに観察が行きとどくためか気になる事象も増えてくる。

 この日も、早く実測を終えなければ、という気持ちと裏腹に、2号住居跡の炉縁に使われていた土器に眼を凝らしている。

「この土器の胴部文様は、悩んでいた4号住居跡から出土した大形土器と同じだ。

 それも、一番大きな対立として表されていた、楕円の輪に条線を書き入れる文様要素だけが抜き出され、交互に上下二段で描かれている。

 破損しているから確定はできないが、残されている部分で見る限り、すべて同じ楕円文だ。

やはり最大の対立から生み出されたものだから、それ以上変化しない文様要素として、何らかの完全性を表すイメージがひそんでいるように思えてならない。

 ここでは、それをいくつも展開させることで、領域の完全性をさらに高めているのではないだろうか?

 なんだか具体性がないままでは、実測図も書けなくなってきた。体がじれてくるな」

「これ、上にある縁の文様はずいぶん違ってますね」

「そうだな。

 縁の領域の文様は上下交互に刺突していく、蛇身の表現に使われる刻みに支配されている。そして、粘土紐自体の意匠にも交互刺突が使われ、蛇身的だ。

 下の領域に条線を引いた楕円文があるが、それを縁取りしている粘土紐はすべて上の領域で作り出されている文様へ連なっている。

 つまり、上の蛇身的表現のすべてが、下の楕円をつくりだしている粘土紐に凝縮してなだれ込むように見え、何とも地下的世界の完全性を描いている感じがするんだ」

ここでの会話は、3号住居跡の炉から検出された土器へ移っていく。

「この土器も問題なんだ。

 一見、単純な三つ又と条線のくり返しだから、何のへんてつもない文様に思える。しかし、これが実に重要な問題を含んでいる。

このなかの文様変化はたった一つだけ。二種類の文様がただ交互に延々とくり返されるだけ。すべてのイメージを集約させることで、まさに単純明解な展開になっている。

 やはり、対立を重層させ、複雑に表現したものであっても、その根底にあるのは三つ又と条線の対立だ」

「この土器のように、対立がくり返されるというのはどういうことなんですかね?」

「こういうくり返しの表現は、物事が整理されていなければでてこない。三つ又と条線には、対立関係にあるなにがしかの明確に認識されているものがあるはずだ。

前の土器で見たように三つ又に〈暗〉のイメージが投影されているとすれば、三つ又との一番小さな対立のなかで生み出されている条線は〈明〉のイメージということになる。そして、三つ又を中心にするさまざまな対立を合一化したものが条線を引く楕円形だとすれば、これは〈明〉と〈暗〉の対立を抱き込んで昇華して極まる〈明〉のイメージと見ることができる。

三つ又は単独で存在することができるから最小の単位だが、条線は三つ又のように最小単位で単独に存在してはいない。単独で表されているのは、対立を合一化したものとしての最大単位、つまり極まった状態の表現に用いられている場合が多い。

 だから、3号住居跡の土器に見られる三つ又と条線のくり返しには、対立の意味の高次元化にともなう、集約された両極の姿が描かれていることが推測される。

 対立は、二つのもの。何かがあったら、それと違うものがあるところからはじまる。

下、右左、明暗、善

 この文様を見ていて思うのだが、くり返すもの、そこには自然に流れが生まれ、流れるからこそ経過する時の観念も現れてくる。

 それを前提にして言葉の意味を置いて考えてみると、上下は流れない、右左も流れはしない、善悪だってそうだ。これらは時間経過とは無縁な世界だ。一番強く時間経過がイメージされるのは明暗だ。

 明暗からイメージされる昼夜は不変につづくし、アニミズム的な考え方を介して人の一生に例えてみれば、地上世界の生けるものの魂が地下的な世界の死せるものの魂となり、その不変の魂が常にそれらの世界を循環している姿とも受けとれてくる。

 この対立には、こうした意識が表されているように思えてくる」

「そう言われると、そういうように見えてきますね」

「別に誘導尋問するわけではないのだが。

 土器の左右両端の縁から下がっている粘土紐の装飾はなんだと思う?」

「これは明らかに蛇身的な装飾ですよね」

「誰が見てもそういうイメージだと思う。イノシシやカエルなどもあるが、縄文土器の意匠のなかで誰でも分かるのはただ一つ、蛇だ。

 蛇は自然界においても、その独特な形態から識別が容易で、たとえ精神的なものが介在し、デフォルメされたとしても容易に判別がつく。

 チンパンジーなどは、生まれたばかりの小猿でも長いものを見ると恐れると言われ、遺伝子の中にインプットされているのではないかとさえ考えられている。

 これは博物館に見学にきた幼稚園児たちに見せても、これなぁんだって言うと、

「へび!」

と返ってくる。

 それがくり返しの文様帯を分断し、片方は突起から大きく、そして片方は土器の口の平坦面に描かれた文様から小さく垂れ下がっている。蛇は地下世界に入って冬眠し、再び地上世界に蘇生してくる。それで蛇の多くは卵生だから、なんとも下へつづく粘土紐を押し付けた楕円形の連続文が、産み落とされた卵の連なりのように見えてきてしょうがないのだ。

 蛇という生命体の冬眠と蘇生、言い換えれば死と復活の象徴として登場させているのではないかと。

 そう考えると、三つ又と条線で表されたのは昼と夜の連続する季節の移ろいということになり、蛇身で分断された右の世界が冬とすれば左に展開している世界は夏ということになる。

ところがここにおもしろい研究があるんだ。歴史学がとらえた年中行事についての論考なんだが。

 春夏秋冬という季節を四季に分ける以前は、日本も中国も、〈春〉と〈秋〉という二季に分かつ認識が一般的だったと言うんだ。

 だから、日本では年中行事は二分された季節のなかで同じ内容のものがくり返されていると。

 これは民俗学者の柳田国男も指摘しているが、そこから春から夏が、また秋から冬が切り離されて四季ができてきたと考えられている。

 春の芽生えの時期と秋の野枯れの時期、言い換えれば動物が冬眠から覚める時期と冬眠する時期が、生物界全体の境界を成す時期区分であったとされいるのだが、その二つの中間に、太陽が一番弱まる十二月二十二日ごろの冬至と、強まる六月二十二ごろの夏至がある。

 これはどの民族でも、もちえている原初的な時期区分だが、この土器の文様を分かつ一対の蛇身に、なんとも春分と秋分のようなイメージが投影されているように感じられてくる。

 一方は突起につづく、上方へ伸びやかに覚醒する蛇体として。また一方は、下方へ巻き込む冬眠する蛇体として……

 翌朝、寝覚めの床のなかで、実測図のコピーを見ながらこの土器のイメージを思い浮かべてみた。     

口縁の突起から巻き下がる蛇尾的な帯と、そこから産み落とされた生命体のような清新な帯。

蛇尾が接する地平には闇と陽光の世界がくり返され、やがて彼方の眠るべき冬の到来を告げる。

「そうだ!

 粘土紐によって生み出される蛇身は、結界としての表現なのかもしれない。

 あるときは地下的な世界のなかで強いエネルギーを秘めて渦巻き、またあるときは地下的な世界のなかで生み出されていくものを取り囲み、さらには地上的な世界と地下的な世界を分離し、すべてのものの結界として存在している。

 ヘルメスのイメージだ!

 どこでも自由に飛び回り、そこにはいつも異なる世界が広がる。

 では、つがいの蛇が描かれた6号住居跡の土器のイメージはなんだ」

二条の蛇身が器面を上下に分かつ、下なる蛇は鎌首を持ち上げて迫り上がり、上なる蛇はとぐろを巻いて彼方の地平を凝視する。

 まさに、長い冬眠を終えて蘇生した蛇。一方は地上に出ようとし、一方はまさに地上に出現している。

 独り言の世界がつづく。

 寝床の中で腹ばいとなり、あっちこっち亀のように手を伸ばし、実測図をしたためたコピーをゴソゴソとまさぐっているのであるから、傍らから見れば奇妙な光景だったに違いない。

 午前四時半ごろ。

 五階まで駆け上がってくる新聞配達人の足音とともに、玄関のドアの物入れへ新聞をねじ入れる、いつもの音がする。

 やがて、一時間遅れで牛乳配達員がくる。ドア越しにカシャカシャ音をたててビンを置くころには、カーテン越しに窓の外が白みはじめていた。

回転のイメージ

「4号住居跡から出土したこの土器を見てください。

これには、3号住居跡の炉に埋め込まれていた土器に付けられていた、粘土紐の数珠つながりの卵のような意匠が垂れ下がっているのですが、これも先端が蛇頭のようで(上図左端)」

「そうなんだ。この土器も実測しながら思っていたのだが、交互刺突や刻みの加えられた粘土紐が円や渦を巻いて途切れることなく展開し、一見複雑な文様に見えるだろ。だが、画面構成の要素となる文様は非常に単純なんだ。

 粘土紐を除くと、三つ又の文様が支配的で、十一ヶ所も登場させている。そして、それ以外はたったの二ヶ所だけで、二つの三つ又を分けるために引かれた横の棒線と、蛇身的にうねるように浮き立たせた線刻があるだけだ。

 横の棒線は、粘土紐で区画された同じ空間の中で、二つの三つ又の対立を明確にするために引かれたものだから、単独で意味をもつものではない。そうすると、同じ空間のなかで三つ又と対立的に描かれているのは、うねるような文様だけになる。

 だから、この文様構成の基本は、粘土紐が複雑に入り組んではいるが、それにより区画された空間には、三つ又を一つずつはめ込んで行く単純な構成。そして、そこに三つ又どうしの対立、あるいは交互刺突によるうねりをもつ文様を組み入れているということになる。

 つまり、三つ又の描き方自体は、3号住居跡の炉に埋め込まれていた土器と同じに、くり返しの描写方法のイメージと何ら変わることがないように思える」

「確かにそうです。

 粘土紐の装飾が、いままで見てきたように蛇をイメージした結界的な表現とすれば、主題は粘土紐で区画された内側の空間の中にあるわけですよね。

 そのなかだけを見れば、確かに単純な表現です」

「6号住居跡から出土した、この土器はどう思う?」

「これも、さっきの土器と同じように粘土紐の装飾は自由奔放に渦巻いてますけど、その区画された内側に描かれている文様の主体は三つ又の文様ですね」

「この土器は、その空間のなかで三つ又との小さな対立が頻繁に描かれている。

 口の突起から垂れ下がる粘土紐を境に、右方向へ順を追って見ていくことにしよう。

1番目三つ又と渦の対立

2番目三つ又とはいえないかもしれないが、線引きに刺突を加えて三つ又様にしたものの対立

3番目三つ又と楕円形の線引きのなかに蜂の巣様の刺突を充足させたものの対立

4番目粘土紐の渦巻きにより部分的に空間が狭められているが、三つ又と2番目の線引きに刺突を加えて三つ又様にしたもの、それに3番目の線引きのなかに蜂の巣様の刺突を充足させたものの対立

5番目三つ又と3番目の文様構成の対立、ここにはその対立の間に2番目の線引きに刺突を加えて三つ又様にしたものが境界的に描かれている

6番目三つ又のみ

7番目三つ又は存在せず、条線と孤線に刺突を加えたものの対立

 粘土紐で区画された空間のなかに、さまざまな対立が描かれていて、しかもまったく同じところが見られない」

「3番目と5番目の左では、単独で描かれていた対立が取り込まれ、それらがさらなる三つ又との対立を生み出している。これは、はじめに言われた対立の重層ですね。

 しかし、6番目のように何の対立も生み出されていない三つ又だけの区画や、7番目の異質な条線で構成された区画も存在している」

「いま言った7番目の条線は、最初に見た4号住居跡から出土した土器の、最終区画を飾る条線で埋めた楕円文と、基本的には同じイメージで描かれているのではないかと思える。

 やはり、この文様は条線と孤線に刺突を加えたものの対立はあるものの、より統合されたイメージで位置づけられているようだ」

 この文様のイメージは、

蛇が潜む地下的な世界。そこには、対立から生み出された蛇身が渦巻く小世界が展開している。

対立は小さく、そして大きく、さらなる対立へと回転しながら重層し、やがて地上への出口を求めて統合されてゆく。

 E・ノイマンは言う。

 丸いものとは卵・〔錬金術の〕哲学者の世界卵・始源の胚芽の状態であり、いたるところで、説かれているように、この状態から世界が生成する。

 丸いものはまた、対立物を包含している完全なるものであり、始源であり終末である。すなわち、それが始源であるというのは、対立物がまだ分離しておらず、世界が始まっていないからであり、終末であるというのは、対立物が再び総合されて、世界が再びその中で安らいでいるからである。

               『意識の起源史』より

 そして、意識の発達段階において、全体が各部分を一つにまとめ、分化した各部分がまとまりをもつ体系に統合されようとする創造的な段階。

 そこでは、物事の処理が、対立物の平衡状態をつくり出すために、それ以前の静的におこなわれていたものが動的なものへと転換し、自ら回転する輪としてのシンボル群が登場すると語っている。

 いままで見てきたとおり、これらの土器の文様に対立の重層がイメージされていることは確かなようである。そして、そこには対立関係が変化しながら一連の流れをもつこと、また個々の対立の合一した表現の存在することもわかってきた。

 ノイマンの言うように、これらが、意識の創造的な中から生み出されたものであるとするなら、今までに見てきた男根崇拝や蛇や火に関する問題も、個別に存在していたのではない。

 そこには組み込まれ、包まれるべき、ある種の統合された世界観が存在していたはずである。

 野塩外山遺跡の縄文人に、なにがしかの神話世界の構築がなされていたことも、まったくの想像ではなくなってきた。

等質のイメージ

 その日は、2号住居跡から出土した完形の小形土器に見入っていた。

   4号住居跡          6号住居跡

 10号住居跡上部攪乱        2号住居跡

 東野君が声をかけてきた。

「その文様の土器は破片でもかなり出土していますよ。

 随分整った文様構成をしているから、小さな破片でも、この手の土器は見逃すことはないですよ」

「そうだな。

 この文様の描かれた土器は、勝坂式期のほとんどの住居跡から出土している。

 あるていど形をとどめるものだけでも、2号のほかに4号・6号の二個体、それに10号の上の遺物群の中にも見られ、全部で五個体も出土している。

 ほかの土器が必ずと言っていいほど粘土紐の張り付けを用いているのに、この手の土器だけは、おきまりでヘラによる線引きと刺突だけで文様が付けられている。

 一見、粘土紐の張り付けのように見えるところでも、線引きを平行させ、その間を粘土紐の張り付けのように浮き立たせている。

楕円と円を組み合わせた文様の帯が縦の結界を作り出し、その結界で分割された四角な画面に規格性の強い文様が配置されている。

 ほら、2号と10号上のものは、結界的な縦の文様で区画された個々の四角い領域に、×形に分割された部分とM形に分割された部分が交互にくり返されている。

 ところが、4号のものは欠損はあるが、明らかに×形の同じものをくり返していて、しかも6号はM形のみのくり返し。

 つまり、×形とM形を交互に対置させるものと、それらのどちらか一方をくり返していくものがある。

 こうして見ていくと多少変形はあるが、×形とM形に描かれた個々の文様には独立した強いイメージが投影されていることがわかる」

「何か象徴的な文様ですね」

「四角い空間を×で分割していくイメージのなかには、左右・上下の意識が存在している。

 左右は互いに対立するものだが、上下と比較すれば互いに近しいものとなる。4号や号上から出土したものの左右の表現が、横倒しのヒョウタンのようにつながっているのは、そのようなイメージではなかろうか?

 左右と上下の対立は、それぞれに反転したものとして描き出されていることは明らかだ。

 四角を対角線で分割すれば互いに向かい合う三角形がつくり出されるわけだから当たり前のことだが、それは左右に入れ込まれている三つ又の文様が、しっかりと向き合っていることからも言える」

「じぁ、M形は何ですか」

「基本的には×形の分割であることに変わりはない。

 6号の土器を見て。

 2号・10号上はM形の中央のV状の谷が底辺についているが、6号は違う。

 V形の部分が垂れ下がるだけで上に条線を入れ込む半円の空間がつくられ、下には反転した半円が描かれている。結果的に、ここでもM形の部分に×形に沿う上下の分割がなされている。

 こうした描き方を介在させると、M形の文様も×形と同様に、左右・上下を分割するイメージからなりたっていることは確かだ。そして、M形は×形より上方を強調した姿として存在させているように思える。

 この×形とM形の文様は、同一の文様展開の中で変化させずにくり返されるが、そのことは、いままで見てきた土器とは異なり、三つ又や条線などを抱き込んださまざまな対立要素が合一化された、ある種のイメージの帰納した姿としてとらえることができ、さらに高次元化したものが3号住居跡の炉体土器の三つ又と条線の単純なくり返しにつらなっているのではなかろうか?

 言い換えれば、文様構成に規格性が強いということは、それが等質的なイメージから生み出されていることを意味し、この等質のイメージの存在にこそ、重層するあらゆる対立の解消された、ある種の帰結した姿を読みとることができるように思えるんだ。

 ここである種と言いきったのは、こういうことだ。同じものが一つでは、それが意識されることもないだろう。しかし、異なるものが現れ、それが二つとなったとき、対立が生み出され、ものの存在が問われてくる。

 そして両者の存在が明らかにされたとき、さらにそれらの関係自体が問われてくる。

 それを情景として表せば、次のようになる。

理解しようとするエネルギーは二極化し、一方は地下の世界へ飛来し、闇の中を駆けめぐり悪を見つけ出す。やがて死の縁をいくども飛び回り、怒、哀、悲、恐、を見下ろす。

エネルギーの他方は地上世界に飛翔し、陽光の中を駆けめぐり善を見つけ出す。やがて誕生の炉辺をいくども飛び回り、喜、楽、快、愛、を見下ろす。

地下世界と地上世界に染め上げられた二極のエネルギーは、それぞれに安定を求め、一方は月へ、一方は太陽へ向かい、その発せられる光によって出会い、激しく渦を巻きつつ合一を成し遂げる。

しかし、こうして訪れた円環の静寂には、常に内なる世界に渦巻く対立のエネルギーが潜んでいる。

円環の外の世界には、意識がもたらす第三者の存在が現れては消え、浮かんでは沈み込む。それに操られるかのように、円環に封印された対立のエネルギーもまた同調し、その動き出すべき時をうかがっ  ている。

そのくり返しの中で、大いなる不思議を秘めた第三者目が現れる。そのとき円環は破られ、再び二極のエネルギーが安定を求めて旅立つ。

それらが意識の長い旅を終え合一を成し遂げたとき、封印された円環はさらに巨大化し、そのうちに複数の原初の小円環を内包する姿へと変質していく。脱皮する蛇のごとくに。

 これが、私の受け止めた情景だ。

 理解するためには対立の重層を起こされなければならず、その方向は終局的な認識へ向かい、(左右) (上下)という空間的な概念を導入した位置付けへ、さらには経過する時間的な概念を導入した位置付けへと駆け抜けていく。

 つまり、この土器の文様は、ものの認識を深めていくための過程を実によく表しているように思えてならない。

 もしそれが事実とするなら、このような文様を描くことのできた彼らには、当然として神話世界が創造されていたはず。

 天と地、東なるものと西なるもの、また山と川、人と動物の生成が、生と死の関係において語られていなければならない」

 類似する五個体の土器をながめながら。

「何ともおかしいんだ。

 空間を分割するために浮き彫りにされた×形やM形の境界の帯に、なぜ刺突や刻みによる蛇身的な意匠が加えられていないのか?

 普通だったら、ここにはそうした粘土紐の加飾が付けられるはずなのに、すべて見られない。

 円と楕円から成るものが蛇身的な結界として描かれているが、それらはみな横に展開する文様帯を等分するものとして垂直に配置されていて、上下左右を抱き込む空間、つまり場面の展開にかかわる結界としてのみ描かれているようだ。

 あるいはこうした文様構成では、個々の対立の表現において、切り離せないものとなっていた蛇身による結界の必要性がうすまり、むしろ場面展開の境界として高次元化していく傾向を物語っているのかもしれない。

 その行き着く先は、モチーフだけが変容する、結界を必要としない文様世界なのか?

 完全性をあらわす円、その変容した楕円の結界が、すべての対立を内包する四角な空間を生み出す。

 そこには、対角線によって分割された無限なる四つ組みの領域がひろがり、その天地東西のなかで、たとえば明と暗、善と悪など、すべての対立が整然と対置しているのであろうか?

 あるいは、この動きこそが、来るべき加曾利E式土器の文様創出意識へ連なっていくものか?

 

反転のイメージ

 「話が認識論のようになってきたが、それはさておき、ここにさっきの土器とは違い、あまり類例のない土器があるんだ。

 3号住居跡から出土したものだが、何となく写実的で、発見されたときから不思議な文様だなと思っていたんだ。

 場面展開がしっかりしているだろ。縦の粘土紐に区切られた三つの場面が設定され、各々にワラビのように表現されたモチーフが配置されている。これはどう見ても同一の場面を展開させたものだ。

 各場面にはモチーフを境にして左右に異なる表現が見られ、一つ目の場面では左に下・暗のイメージの三つ又の文様があり、右には上・明のイメージである条線の世界が対立して表されている。

 三つ又は二つ目の場面でも右に登場するが、ここでは線引きではなくて連続した刺突で表され、三つ目の場面からはそれが消えている。

 情景的に観察すれば、モチーフを挟んで闇的な世界と陽光的な世界が対立して描かれ、場面展開の中で闇的な三つ又が陽光的な条線の世界で覆い包まれていく状態を見取ることができ、その終末には空白で表される虚無的な世界が広がるような印象を受ける」

「本当に不思議な文様ですね。

いま言われた感情表現は別にして、同一場面の展開であることは誰が見てもそう思えるんじゃないですか」

「だろう。じゃ、個別に見ていくことにしよう。

 場面展開のなかで二つ目の場面で反転の技法が使われている。それは、先端の巻き込む方向を違えたワラビ形のモチーフ以外に、場面における三つ又の描かれる位置の逆転からも言える。

 これは偶然の所産ではない、明らかに場面全体の領域を反転させる意図をもって構成している。

 こうした反転のイメージには、相互に右が左となるような、矛盾し、対立する、次元の異なる鏡像的な二つの世界がイメージされているように思える。

 つまり、アイヌ民族が保有する、すべてのものが逆をなすと言われる、地上世界に対する死後の地下世界のような反転のイメージがこの場面に投影されているのではなかろうか?

 そして、ここにはもう一つのイメージが織り込まれている。それは、変容するもののイメージだ。

 ワラビのようなモチーフだけを抜き出すと、それに描かれるている節状の区画線は一つ目の場面から順次21と規則的に変化し、二つ目と三つ目の場面に付けられているボタン状の意匠も、反転を考慮して整理すれば、二重円+刻みと二重円、それに対し円+刻みと無文という、二者どうしが複雑な表現から簡単な表現へと変化し、さらにそれに一つ目の場面の空白の表現が加わっている。

 場面展開の全体に、それに対応するような変化が付けられているんだ。

これは何の根拠もない絵合わせ的な発想だが、ボタン状の貼付は、エジプトのヒエログリフ(象形文字)では、円や二重円は日輪で、そのなかに交差する平行線や刻みを入れたものは星。これに実によく似ている。

 空想のついでにボタンの付けられていない一つ目の場面の右側を見て。

 ほら分子と分母を分けるような横線があり、その下には縦の条線が引かれ、その上には中心点を置いた二重の半円が線と連続刺突で描かれている。

 何か大地に上昇していく強まる太陽のように見えやしないか。

 ここではほかの二つの場面に登場する日輪が、その導入として平面的に描かれているように感じとれなくもない。

 これを見ていると、なんだか感情移入したくなるのはぼくだけかな。

 この文様には対立・反転・変容という三つの要素を満たす意識から生み出された世界、それは以前にものの認識を深めていく過程で言った終局的な段階、つまり経過する時間的な概念を導入した位置付けへ到達していなければ、生み出すことのできない描写であるように思えてくる。

 ここに描かれた一つひとつの文様が何を表しているのかはわからない。だが、こうした構成のなかに対立・反転・変容などの存在が、イメージとしてでも読み取れるとするなら、そこに大地や動植物、人間の創造にかかわる神話世界が成立していたとすることに、もはや疑う余地はないように思えてくるのだが……

蛇身的な結界に画された三つ組みの場面。そこには穀霊のように表された植物神的なモチーフが登場し、闇と陽光の世界を分かつ。

それらは、やがて反転した世界の中で、地下世界から地上世界へと浮上し、生命を謳歌したのち、来るべき再びの冬とともに、沈み込む。

 

変容のイメージ

「いままでは勝坂式だが、こんどは加曾利E式の文様を見ていくことにしよう」

 机の上にならべられた土器を前にして、しばらく沈黙がつづく。

    5a号住居跡           1号住居跡

                         5a号住居跡

「勝坂式とは随分違いますね」

「その違いは何だ?」

「一番大きな違いは、場面をつくり出す結界的な表現がまったく見られなくなることですね。

 そして、粘土紐の貼り付けによる、横倒しのS字形やなにかの曲線的な文様が変化しながらくり返され、しかも勝坂式で多用されていた粘土紐に加えられる刺突や刻み、それに三つ又や条線や蜂の巣状の刺突なども消えうせています」

「そうだな。さて、この問題をどう理解していく?

 考古学では文化圏と分布圏を混同しているきらいもあるが、仮に勝坂式の分布圏に別地域で生み出された加曾利E式の影響が入ってきて定着したとしても、それをよしとして受容していたことに違いはない。

 勝坂式から加曾利E式への変化は、出土状態などからも断続は認められないから、文様に対する意識も継続した変化としてとらえていかなければならない。

このことを前提にして、勝坂式から加曾利E式への文様変化を考えると、こんなことが言えるのではないかな。

 つまり、変化の中心となる要因は、モチーフの設定が明確になること。あらゆる変化がこの一点に集約されてくる。

 その変化の大筋をたどれば、こんなふうになる。

文様を意味付けている意識は、勝坂式の段階のなかで複雑に入り組みながらも、ある一定の方向を指向していった。それを理解するには、粘土紐を貼り付けたモチーフで区画された領域内に描かれる文様、つまり三つ又や条線などの構成法が、重要な視点になる。

 そこでは、限られた文様要素を駆使し、単独配置もあれば二つを並記する対立的描写も存在するが、その流れが原初的な二者の対立からはじまり、領域間の対立へ高め上げられ、対立の階層をつくり出すように重層化していくのではないだろうか。

 例えば文様の要素が1と2であれば、1がきたら次に描くべきものは2、2がきたら次ぎは1というような、違うものを交互に描き込んでいく作業から、それを基本とし1と(1+2)、2と(1+2)という複合した対立表現も生み出されてくる。

 こうした重層する対立のなかには、必然的に流れが生まれ、個別の対立を合一化させたトリックスター的な性格をもつ第三者目、例えばXも生み出されてくるが、それと同時に本来違いをあらわしえない(1+2) (1+2) (1+2)のような、個々の(1+2)に完全性をもたせることにより、同一の文様を一系として対立させていくものも現れてくる。

 その段階において肥大化するのが反転のイメージである。

 ひとつを鏡像的に反転させることで、

  (1+2)( 2+1)(1+2)

のように位置的な違いが生み出され、そこに近似したものが背中合わせになる強い流れも生み出されてくる。この手法はさらに高度な水平反転に、垂直反転を組み合わせた百八十度の回転表記をも可能にしている。

 こうした反転のイメージは、同時に多角的な空間分割を起こし、(上/下)(左/右)という対角線で区画された図形的な対立概念を呼び起こし、その内へ複雑に重層化した対立が整理されていく。

 この段階では空間の分割が明確化し、しっかりとした場面展開の生み出されることが予想されるが、そこで重要なのは、モチーフによって空間分割された領域自体が一つの統合された領域を表すものであるから、そこに表される対立関係が薄らいで行ったとすれば、必然的にモチーフ自体の動きに文様描出の意識が移り変わっていったことが想定される。つまりここで述べようとする変容のイメージだ。

 加曽利E式への過程で、三つ又と条線などの対立表記は、この粘土紐を貼り付けたモチーフに溶け込み、それが描き出す曲線的なモチーフの流れに解消される。そこでは結界的表現もまた、その機能を失っていることは確かだ。

 その間の事情を整理すると次のようになる。

 この段階の文様描写では、高次元化したモチーフ自体の変化が問題となってきている。

 その存在を、明確にさせるためにとられてきた対立の描写方法は影をひそめ、三つ又や条線や蜂の巣状の刺突もなくなる。

 そして、対立が文様意識から離脱したことで、粘土紐を貼り付けた結界も、さらには粘土紐に加えられていた刺突や刻みも描かれなくなる。

 その過程のイメージを一口に言うと、対立から変容へということになるのだが……

「1号住居跡の炉に使われていた加曾利E式の土器を見てください(1号住居跡出土土器)

確かにそうですよね。基本は、粘土紐を張り付けた字状の文様に別な半切した字形をつなげたもの。この一対の組み合わせが三つ描かれています。

 でもよく見るとみんな違ってる。左端から右へ見ていくと、1番目と2番目は同じ形に見えますが、1番目の字形の中央には竹の節のような粘土紐の重ねがあって2番目とは違っている。それに3番目は字形の右につなげられた粘土紐がほかと違って、直線的。

 モチーフの構成を、それぞれに変化させているんですね。さっき言われたようにモチーフは変容している」 

「5a号住居跡からほぼ完全な形を保って出土した加曾利E式の土器もそうだ(前頁図左)

 ほら、一部欠けているが、登山ナイフのようなモチーフが三つ同じ方向に配置され、二つには足みたいなものが付けられていて、その片方は柄のような部分を波打たせている。

 これにもモチーフを変容させるイメージが感じとれる。

同じ住居跡から出土した、胴下半を欠損する土器も同じだ。このモチーフは1号住居跡のものに近いが、四単位のすべてを違え、しかも横つながりに描かれている。同一なものの変化する状態を描写しているようだ。

 これらはすべて、なにかの変容していく状態を主題にしているように思えてくる。

 加曾利E式の新しい段階になると、この曲線的なモチーフがすべて楕円で表され、文様構成上の変化はなくなり、画一化していくが、その段階になると土器の文様に、すべてを描出することの意味がなくなるんだろうな。

 たぶん、土器に投影されていたある種の信仰観が次第に離脱、うーん、離脱と言うより高まって独立し、だな。敷石住居などでおこなわれる儀式の方へ比重が移されていくのではなかろうか?

 さて、今までたくさんの土器を見てきたが、これがすべてじゃない。文様は抽象的に描かれているといっても、より具体的にあらわそうとしているものもあるし、簡便に表そうとしているものもあるようだ。

 ここではほかの遺跡の比較を一切しなかったが、それは、一つの遺跡に継続性があるのなら、そこにその時期の一般的な思考の変遷が凝縮されていると考えたからだ。

 ほかの遺跡から出土している土器を加えれば、縄文の意識への糸口が、まだまだたくさん見いだせるはず」

 

遠い世界

一九九五年夏

 発掘の報告書の原稿は印刷会社へわたり、最後の校正も無事終了した。

 一段落つく間もなく、十一月に博物館で開催する予定の「野塩外山遺跡展」へむけての準備にかからなければならない。

「結局は断定できるものなど、何もなかったな。ハハハハハ」

「お疲れさまでした」

「お疲れさん。でもこうした追求は継続させて行かなければ意味がない。

 ちょっとこの絵を見てごらん。 

北米インディアン ホピ族の人類創造神話
     を描いた現代絵画 フランツ・コライ画

これはホピ族という北米インディアンの人類創造の神話を現したものだ。その内容はこうだ。

初めに太陽の精霊が現れ、虫たちの住む洞窟世界がつくられた。しかし、虫たちには生命の意味が理解できず、精霊はクモの祖母をつかわすことで虫たちを高次の段階へ導き、動物にした。

だが、これらの動物も不十分であることがわかると、あるものはふたたびクモの導きで変身し、人類の世界に到達した。

ここで人間たちは最初の文化をその地で築き、生命の意味を探りはじめた。

彼らはここから、終極の居住地を求めて苦難の旅をつづけるが、大空を飛翔する鳥が彼らを導き、新しき世界を発見する。そして彼らは、真の人間としての生活を営みはじめた。

 縄文の土器には、これほど体系化された意識表現は認められないが、個々の抽象化された文様構成には対立と連鎖という生命の根源的な神話世界が、三角や渦巻く回転体のイメージで描かれているように思える。

 これらの土器の文様は、古代エジプトの象形文字のように記号の配列による言葉としての表現ではないから、木や山や川などを個別に表したものでないことは明らかだ。

 そこには、木の命は大地や火、さらに光りや闇、そして人間とも命を共有するものという〈草原の魂〉と呼ばれるものが存在する。

 人間だけが発達させることのできた、この深遠な意識世界が、現代の抽象美術に近い表現形態により描写されているように感じられる。

 われわれ現代人のものの見方は、原始からの人類が発達させてきた意識の変遷の上に成り立っているが、前にも話したように、原始からの人類が歩んで来た意識の発達は、子供の意識の発達のなかにその縮図を見ることもできるという学説もある。

 幼児は、その初期において母の胸のうちで不安のない楽園的な世界に暮らす。しかし、やがてくる自我の芽生えとともに楽園の外の世界に目を向けだす。

 そのときに至ると心理的な不安は増大され、自己を認識するため、幼児にとっては本来一体化しているはずの母へ向けての激しい対立が呼び起こされる。

 その長い長い葛藤のなかから自我を勝ち取ると、以前には母の女性性に包まれ、意識されなかった父という男性性の存在、また家族という集団の中での自己の存在も認識しはじめる。

 こうした子供の成長にともなう過程は、各国の神話にみられる意識発達の諸段階にも共有されており、すべてのものが未分離に融合する意識状態に対比される創造神話の段階をへて、自我の男性性が強化され、それが確立する英雄神話の段階へと至る。

 唐突だが、クロマニヨン人の脳の容積は現代人とさして変わりはない。なのにその生活状態は数万年という時の流れの中で高度には発達しなかった。

 考える力を生み出すのは脳だが、それは本能的情動をつかさどる大脳髄質と、精神作用をおこなう大脳皮質に分けられ、関係する諸器官の発達がなければ環境世界を深く認識することはできない。

 ではそれがどのように発達してきたか。

 初期の旧石器時代のように、行動の多くが本能的なもので左右されている段階をへて、その契機をなしたのは、旧石器時代の終わりから縄文時代に入るころに起きた氷河期の終焉ではなかったかと、私は考えている。

 激変する環境。そのなかで大形獣は減少した。

 一頭しとめれば何日も暮らして行けた時代は過ぎ去り、多種類の中小動物を捕らなければならない時代がやってきていた。

 そのことはまた、狩猟対象が複雑化したことで、多くの動物の習性を熟知しなければならないことを意味している。つまり、このことが環境世界への認識を急速に深めていった要因ではなかったかと……

 そうした深まりの中から、自然界のあらゆるものには霊的なものが存在し、さまざまな現象はその働きにより起こされる、という原初的な宗教観であるアニミズムが生まれてくる。

 闇に対する不安、食物が枯れ果て、動物が活動を休止する冬への不安。それらはすべて人間の死と結びつけられてきたことであろう。

 祖父母、両親、兄弟、子、そして仲間。

 その避けえない死に対する意識から、数々の原初的な神話が生み出されてくる。そのなかで意味付けられてきたものが、魂を介して蘇生復活が現実に起こりうるものとする思考だ。

 彼らは、このことで死を克服した。

 神話の発達段階は、創造神話の段階をへて、自我の男性性が強化されて確立する英雄神話へと至る。

 この、神話にみられる意識の発達史から縄文時代をかえりみるならば、中期の石棒は男根崇拝の原初的なものとして、女性性に従属した英雄誕生以前の段階の、また後・晩期に多出する土偶の多くが懐妊した姿や乳房を誇張した女性性を表現していることからは、これも英雄誕生以前の段階の産物と考えられる。

 つまり明確に男性性を強調したものが見当たらない。

 ところが、中期の土器の人面装飾のなかには片眼をつぶした表現をもつものが武蔵村山市やあきる野市の遺跡から発見されている。

 武蔵村山市屋敷山遺跡 あきる野市二の宮森腰遺跡

                オーディン

 このあり方は、深遠な知恵を欲して巨人に片眼を渡したアイスランドのエッダ神話のオーディンにみるように、英雄誕生にかかわる各国の神話にとりあげられているものと同類のものではないかと思える。

 英雄誕生に深くかかわるのは、光やそれを感じとることのできる唯一の機関である〈眼〉。

 日本神話の天の岩戸のくだりも光が絶対的なものとして登場している。そして、英雄の創出には荒々しさとともに、傷つくことが重要な要素となっている。

 土偶は女性性を強調しながらも、どこかに男性性が潜んでいる。その両性具有的な造形物の多くは、破損し、傷ついた状態で発見されているが、この片目を意図的につぶした人面装飾といい、傷つけられた土偶といい、強められていく男性性とともにまさに英雄が誕生する意識段階に思えてならない。

 混沌(カオス)とした闇に象徴されていた男性性が、女性性に支配されていた段階から、眼・光、という男性性が強められた段階へ至ると、太陽神話の創出や天の創造的世界が生み出されてくることになる。

 その世界では、天上界と地上界の仲介者として鳥が重要な意味をもちはじめ、地上界と地下界の仲介者として存在していた蛇さえも羽をもつ〈ドラゴン〉として天空にはばたき、そして羽をもちえなくとも、〈竜〉として天空に踊り上がる。

 縄文時代の後期に鳥形をした土偶が出現し、弥生時代に鳥形木製品が多出することを考えれば、そのころにこそ、天上界の創造を含む体系化された神話世界が成立し、それにともなう各種の儀式も整っていったように、私には思えるのだ。

 英雄神話の誕生。その世界では、善と悪、女性と男性、集団のなかの個人の存在などが明確に認識されるはず。しかし、野塩外山遺跡の縄文中期の時代は、まさにその意識がカオスのなかで、浮上しては沈み込む世界であったと……


 この野塩外山遺跡の調査からはじめられた

  〈縄文土器の文様に神話的なイメージが存在するか〉

というテーマは、次なる野塩前原遺跡以降の発掘調査へと引き継がれていく。

 その間、本書の「答えのない世界」でえた文様解読作業を基礎とし、長期間にわたる方法論の模索がつづけられることになる。それは心理学から中国の甲骨文字へ、そしてわが国の万葉集から古代信仰、古語へとひろがり、人類学における構造主義とのすり合わせにおいて、精神世界を究明していくための論理展開の骨格が現れてくることになる。

 そしてそこに、古代ギリシアで現れた現実主義への移行。つまり、言語的な〈原始〉から〈実存〉への調整をなしたレトリックの理論を加えることで、現代において縄文式土器の文様をどのように意味解釈していくか、ということにかんして、時の障害を取り除くための実効性を確保できる段階を迎えた。

これらすべてを駆使し、本書の最終巻では初期のテーマを脱し、

  〈縄文式土器の文様に現された神話構造〉

とでも題すべき、文様の具体的意味解釈へと突き進んでいく。





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   執筆・編集
       清瀬市郷土博物館
        学芸員 内田祐治

 制作    2005年3月
 
 歴史読本
【幕末編】
多摩の江戸時代の名主が書き残した「日記」や
「御用留」を再構成し、小説の手法をもって時代
を生きた衆情を描き出した読本。
 
 夜語り
─清瀬の年中行事─
 
 学芸員室から
─研究過程の発想の軌跡を紹介─
 
 
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