揺れている、すべてが揺れている。
干し草の香り、暗く揺れる空間に恐ろしげなけもの臭が行き交う。恐ろしい。恐ろしい。しかし、乳の匂いのする安らぐ暖かな肌が傍らにある。
ここは、長い航海に備えて船底にしつらえられた家畜小屋とみえて、狭苦しい部屋に、ガチョウ、鹿、牛、豚が同居している。吾はその部屋隅にいる、生まれたばかりの黒毛の猫へ意識を映し出しているらしい。
船名ヴァンセンヌ号(Vinncennes)。日本でヴィンセンズともビンセンズとも書き表されるこのスループ型砲艦は、ワシントン南方の大西洋に面したハンプトンを1845.6.4日に出向。アメリカ東インド艦隊司令長官コモドア
.ビドル(ビッドル)を乗せたコロンブス号(Colunbus和名表記コロンバス)号とともにアフリカ大陸南端のCake of Good Hope(喜望峰)を回り、中国広東省南部のポルトガル領マカオへの航海をつづけている。
このアメリカ東インド艦隊を率いるビドルの任務は、マカオに駐在する全権大使へ、国務長官から出された中国ならびに日本との通商条約締結の指令書を手渡すことにあったが、その航海のCake of Good Hopeの荒れ狂う波を切り抜けるさなかに、黒毛の猫は生まれたのである。
インド洋へ入ると、波質は安定し、無風日をはさみながら風を追いつつの航海となった。そんなある日の、白波一つ立たぬ穏やかな海面に浮かぶヴァンセンヌ号の甲板。
「Hey, see that.」
見ると併走するコロンブス号の帆の降ろされたマストで、訓練を兼ねた昇り降りの競い合いが行われているらしい。やがて多くの船員が甲板へ出てきて、船べりから大きな声援を送る。それにつられたのであろうか、親猫が生まれて間もない黒毛の子猫を連れて甲板へ姿を見せた。
子猫にはこれがはじめての外出である。暗く、けもの臭のする船底から開放され、心地よい潮風を総身にうけ、子猫は思っている。陽の暖かさ、絶えず動く波の不思議さ。
「A kitten is in such a place!」
こんなところに子猫がいるぞと誰かが叫んだ。
このときまで、知っているのは料理係りの下働きの青年だけであったから、黒い子猫は一気にヴァンセンヌ号のアイドルとなり、以後船員の誰からも声を掛けられるようになった。
併走する二艘が最終目的地マカオに着いたのは、出向から半年を過ぎた 月の月末であった。
船底の家畜小屋から抜け出し、船内を一匹で歩き回ることも多くなっていた子猫は、その夜、食堂の片隅に居た。床に固定された長テーブルの端には二人の船員が向かい合い、何か深刻な話をしている…
「Seemingly, we will go to Japan.」
船員は、日本へ向うらしいという情報を何処からか聞き込んできたらしい。
それは事実であった。マカオに着いた司令長官ビドルは、そこで意外な事実に直面していた。通商条約締結の指令書を渡すべき全権大使のカルブ・クッシング(キャリブ・カッシング)はすでに帰国。後任にアレグサンダー・H・エヴェレットが着いていたのである。しかも彼は病魔に犯され、指令書の任務を遂行できぬほどの病状にあり、ビドルに代任を打診していたのである。
母国から遠く離れたマカオにあって、指令書を託した国務長官ジョン・C・カルフーンの指示を仰ぐことはできない。この地では全権大使エヴェレットの命に従わなければならぬが、その任は海外貿易を競い合う西欧諸国に敗れることのできぬ大任。躍進する若きアメリカの国運を背負うものでもあった。しかし、ビドルには情報が不足していた。
彼は、在任中のカルブ・クッシングが、そのすぐれた折衝力で切り開いた中国との通商条約を国家間の正式な承認事項となすための批准書を取り交わしたのち、マカオで周到に日本側の情報を収集しはじめた。
当時、アメリカは蒸気船の時代へ突入していた。
太平洋、その広大な海原を、蒸気船は2〜3週間で横切る。米国の西海岸から、中国へ至る商業船の往来は間近に迫っていた。そのため石炭資源を保持する日本が船舶の給炭ステーションとして重要な位置を占めはじめていたのである。
このときアメリカは、対抗する西欧諸国がアフリカ南端のCake of Good Hopeを通る遠大なV字形の迂回航路をとらねば東洋へは至らなかったものを、日本を西の玄関と位置づけ、蒸気船をもって太平洋を真一文字に結ぶ独自の航路を切り開こうとしていたのである。
アメリカを離れるときには予想もしなかった事態。イギリス、ロシアに先んじて日本の扉を開くには時がなかった。
しかしビドルは、一方で日本側の情報を収集し、他方でイギリスやロシア側の動向までも探り、行動を起こす時をぎりぎりまで遅らせていた。それは、諸外国の日本との折衝方法、ならびに日本の政治体制から国民感情に至るまで、さまざまな情報を収集し、分析を試みるためであった。
半年以上に及ぶ情報収集。
そのなかからビドルが描き出した、まだ見ぬ国「Japan」。それは
「閉ざされた日本の扉は、けして強くたたいてはいけない。軽く、軽く何度もたたくこと」
日本人は礼節を重んじ、兄弟の中であっても上下の関係を尊び、死へいたる過程さえも主人に仕える意識のなかで構築している。武器の稚拙さは諸外国の知る所となった。しかし、兵一人の精神の強さは西欧に比類なきものがある、という認識の下に現れたビドルの思考の結び目が、そこにあった。
黒船2 ─日本へ─
マカオから伊豆沖へ
July 7, 1846
司令長官ビドルを乗せ、コロンブス号とヴァンセンヌ号がマカオを出航。
マカオ到着から七ヶ月後の7月、それは情報収集に時を必要とするとともに、日本近海に流れる激しき潮流がもっとも安定する時期でもあった。
黒猫は日々たくましさを増していた。
尾を立たせ、そのすっくと伸びた四本の足で甲板に立ち尽くす黒猫。その視線の先には、同じく、伴走するコロンブス号の甲板に立ち、こちらを見つづける人影があった。
司令長官ビドル。彼は帆を大きく張った白帯のヴァンセンヌ号を眺めつつ、出航時に行った、全船員を前にしての任務遂行にあてた訓示の光景を想い出していた。
「Gentlemen.We go to open a door in a country called Japan from now.」
外国を受け入れぬ閉ざされた国日本。その国民感情には計り知れないものがあった。司令長官ビドルは、この日全船員に航海中の規律についての注意事項を伝達していた。
それは、
・ 停船の日中に砲門の背後に人影を作ってはならない。
・ 命令が下るまで銃および剣、ナイフの類に手をかけぬこと。
・ 甲板での悪ふざけ、遊戯の禁止。下船の禁止。
・ 乗船した日本人に対し友好的に振舞うこと等々。
その裏には、礼節を重んずる日本人に対し、アメリカ側も礼節をもって対応しなければならぬという思いがあった。けして高圧的に出てはいけないし、ジョーク好きなアメリカ人が、甲板で踊り出せば彼らは侮辱されたと思うであろうと考えていたのである。
帆を張ったヴァンセンヌ号の優雅な姿が、ビドルの眼に映し出されている。
ヴァンセンヌ号。
そこには黒い船体に、見紛うことなき真一文字の白い帯が描き出されている。スループ型といわれるゆえんは、コロンブス号の三つの白帯に対してヴァンセンヌ号が一帯であることによる。その甲板には砲が備えられている。スループ型砲艦とは、それを指し、一つの甲板にのみ砲を列した軍艦を云う。
「ヴァンセンヌ」、それはインディアナポリス南西の都市名ともなった古い砦に因む名。その麗しき船体は、若く、そしてあの若い黒猫のように希望に満ち溢れたアメリカを象徴するものとして、輝かしい船歴を有する途上にあった。
1826年の 月 日に誕生。その年の 月にニューヨークを出航すると、南米南端のホーン岬を巡り太平洋へ乗り出し、その広き海原で商船や捕鯨者を保護するとともに、1930年にはインド洋を横断して南アフリカのケープタウンからニューヨークへと帰艦するにおよび、アメリカ艦船としてはじめての地球一周を成し遂げた。
さらに1838年から 年までは海洋調査船として活躍し、南極からニュージーランド、フィジー島、ハワイ島などを巡り、氷山や火山など、さまざまな調査活動に従事してもいた。
その船体には、軍艦へ、調査船へと、目的に応じ幾度もの改修を経た機能美が映し出されていた。ヴァンセンヌ号をあずけられ、長い船旅を伴にした司令官のなかには、この船を単なる船と考えず、未知なる能力をさらに試すべきだと進言するものさえいた。
ビドルは思った。
「このコロンブス号、そしてあの併走するヴァンセンヌ号、アメリカが望むフロンティアの精神は、いまこの二艇にこそ、顕現しているのだ」
と。
黒猫は、そのヴァンセンヌ号の甲板にあって、コロンビア号の人影近くの金属部が放つ、陽を受けた不思議なきらめきに眼をやっていた。
日本の外海の潮の流れは、一定しているが極めて速い。それが陸へ近づくところに大きな潮目が出現し、そこから陸地への間に、小さいが、しかしあなどることのできぬ複雑に分岐する強い潮目が作り出されている。
目的地は江戸湾の入り口、浦賀。そこには外海から侵入するものを監視する奉行所というものがある。
司令長官ビドルは、マカオ出航にさいして、その日時を直前まで公開せず、また目的地の港名さえも明かさずに秘事としていた。それは他国の周知するところとなれば、それを逆手に取られ、日本側との交渉を有利に進める恐れがあったからだ。
しかしそこで問題となったのは、日本側への寄航通告が、事前になし得ないということ。つまり、日本の領海内で、コロンブス号とヴンセンヌ号の船影を日本船に見つけさせなければならないのである。それには、陸近くに航路をとれば庶民がパニックを起こす危険があった。
司令長官ビドルの胸中には以下のことがあった。
・外海から、直接に付近の陸地へ上陸するという錯覚を起
こさせてはいけない。
・通信手段の立ち遅れている日本では、交渉地とする港は
長崎や大坂では用を成さない。交渉ごとが、幕府の中心
である江戸の地へ一日で届く範囲。しかも、幕府が砲台
場の設置をもくろむと聞く江戸湾内に入っては、いきな
り交戦を挑んできたと思われることは必定。
July 15, 1846 (和暦弘化三年閏五月二十三日)
四国室戸沖を夜が明けぬうちに通過。
陸地からほぼ マイル(約 q=十里)の距離を維持。それは海上で陸地の存在が難なく目視できる距離だが、それを保ちつつ二艘は東北東に進路をとっている。
ビドルは夜明けとともに、いつにも増して測量班へ人員を割り当てる一方、日本船を発見するための歩哨も増員。船中の緊張は、紀伊半島が見え出したころから一気に高まった。日本船に出会うとすれば、四国沖の荒海を超え、その国の航路の築かれている、この紀伊水道に差し掛かってから。
ヴァンセンヌ号でも、黒猫親子がただならぬ緊張を感じ取り、すでに夜明け前から甲板に姿を現している。
快晴、しかし、遠く霞み立つ陸は人の気配を感じさせぬほどに静まり、波を切る音が不思議な静寂をつくりだしている。歩哨からの連絡は、いまだ無い。
熊野灘沖を通過し、低き丘の連なる渥美半島を過ぎるころ、コロンブス号のマストに登る歩哨に激しい動きが現れた。
「A boat is discovered to the port side.」
左舷に小舟発見の報を受け。にわかに司令長官ビドルが行動を起こした。
傍らには艦長トーマス・ワイマンがいる。かねてから計画が練られていたのであろう、海図をはさみ、何やら短い言葉を交わした後、艦長が次々と指示を出していく。
「Make speed of this ship the same as that boat.」
併走するヴァンセンヌ号の甲板に陣取る黒猫の体が右へ振られた。
航路を変えたのだ。それと同時に減速しているらしい。
陸地が少し大きく見え出したところで、再び船の向きが右へ動いた。どうやら小舟に幾分か近づき、併走することでしっかりと相手側に確認させようとしているらしい。
船は近づく気配を見せながら、しばらくして立ち去っていく。
それから二時間後の午後零時ごろ、二船目が確認される。
「The second boat was discovered.」
その歩哨の声を受け、司令長官ビドルは思う。
「浦賀はもう近い。あの小舟がわれらの船に気付いたことは確かだ。あとは幕府へ注進するまで、海上で時を稼がねば…」
July 16, 1846 (和暦弘化三年閏五月二十四日)
翌日の夕刻、コロンブス号とヴァンセンヌ号は遠州横須賀(静岡県焼津市南方)沖にあった。
日本へは海流に乗り、風を受けて6・7ノットの速度で外海の波を切り走っては進んでいたが、昨日からは和船に発見されることを目的としていたこともあり、1.5ノット程度のゆっくりとした走行を保っている。
ヴァンセンヌ号の船尾の甲板には、黒猫が出てきている。この位置には併走するコロンブス号の船影が及ばぬから、陸地を見渡すことができ、そこに神霊なる孤峰富士の姿が見え隠れしている。
黒猫は、宝冠のごとき白雪を頂き、夕陽を受けて赤く染まる山態に見入っている。
それはコロンブス号の甲板へ集う人々の心をもとらえ、湧き起こる歓喜の思いを離しはしなかった。ある婦人が驚嘆の声を発する。
「It is very beautiful. That is the mountain where God was created.」
一方、焼津付近の浜には、黒船が見えるというのでたくさんの人が出ていた。
船影は小さい、しかし夕陽に染まる白帆を頂く船形が、見たことの無い異国情緒をかもし出している。
すでに前日の夜には東海道の宿々で、黒船が来たというわさが走馬の馬蹄のごとく鳴り響いていた。浜にいるある男が何やら話しだしている。
「何でも浦賀奉行所へ注進するとかで、昨日の宵の口に馬が駆けてったら」
「おらも見ただ。したが、一艘と聞いとったが、ありゃ二艘じゃねえか、奥に小さいのが一艘いるような」
そうなのである、ビドルの指示により、艦隊は有事の際を想定して大型艦のコロンブス号を陸側に走行させ、その陰に入るように小型艦のヴァンセンヌ号を併走させていたのである。したがって前日運搬船が目視したときには気付かなかったのも無理からぬこと。
ヴァンセンヌ号の甲板。
黒猫は場所を移してはいたが、まだ陸を見つめつづけている。
富士の東側に陰が射しはじめる。
その陰は、沈み込む入り陽とともに片側の山稜に拡大。
やがて、山頂に水平なる結界を築いてから、陰は一気に大空へ跳ね上がる。そのころには夕映えの赤味が闇色へと溶け出し、稜線に一瞬の輝きを残して闇がすべてを支配した。
その直前、黒き二つの船体が、伊豆半島沖の深まる闇に姿を消した。