古民家調査報告 2 (旧森田壽吉氏宅) |
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森田壽吉家調査報告 |
位置
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関連動画
再生リスト「清瀬の古民家」参照 |
調査時現況 |
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森田寿吉家事前調査報告書 |
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【森 田 寿 吉 家】
所在地 清瀬市野塩一丁目
現 状 建築物
母 屋 1棟
土 蔵 2棟
外便所 1棟
納屋等 9棟
屋敷神 1棟(稲荷社)
景 観
屋敷地中央に、南向きに土間を設けた四つ間取りの母屋がある。母屋北側は杉・欅などからなる防風林で、薪小屋・裏蔵・屋敷神が建てられており、南側に広がる庭には、西側に鉄骨づくりの納屋が5棟、また東側に同じく鉄骨づくりの納屋が3棟所在している。なお、母屋東に外便所が設けられている。
母 屋… |
東側が土間で、中央に単基のカマドが置かれ、東北側の一角は古くは馬屋が設けられていたという。東壁に鍬や籠などの農機具が掛けられている。
母屋西半は四つ間の部屋割りで、北側の台所には座り流しとイロリが造られている。デイには床の間を置き、ザシキには神棚・仏壇が設けられている。この仏壇は箱形で養蚕の際には移動できるもので、上を踏み台として天井裏へ上がれるようにしている。なお、この天井裏では旧時養蚕を行われていたらしい。
部屋部分の南側と西側には濡れ縁が巡り、北西端に内便所が設けられている。
屋根部分は、旧時茅葺きであったものを昭和に入りトタン葺きに改修している。 |
外便所… |
大・小二つに仕切られた木造の便所。 |
裏 蔵… |
切石を置いた二階造りの土蔵で味噌蔵と呼ばれており、味噌樽などが置かれている。 |
前 蔵… |
切石を置いた二階造りの土蔵で穀蔵と呼ばれており、1階に豆・麦などの穀類が収納され、2階には長持ち・箪笥・食器類などの調度品が保管されている。 |
屋敷神… |
南向きの小祠で稲荷を祭っている。 |
薪小屋… |
南側が開く土壁造りの2階建てで、現状では藁が収納されているが、旧時には1階部分で牛あるいは馬などの家畜が飼われ、2階部分に薪・木材等を収納していたようにみうけられる。 |
納 屋… |
鉄骨造り。 |
民 具
農機具のほか、文書箱・長持ち・箪笥・食器類・箱膳・蓄音機・レコードなどの調度品のほか、衣類等多数。特に、食器類は漆器の椀類・磁器の皿類で箱書きがあるものが多く、幕末期から明治前期に購入した製品がまとまって残されている。箪笥や長持ちなども幕末期までさかのぼるものが認められる。
古文書
江戸時代のものは少なく、大半は明治時代以降のものである。
所 見
もっとも特徴的なのは、屋敷森を含め、清瀬周辺の旧時の農家の景観をよくとどめていることである。庭部分に、近年建てられた鉄骨造りの納屋があるものの、そのほかは母屋の屋根部分を除き近時の改修は認められず、よく古き農家の景観が残されている。そのことは母屋内部についても同じで、土間とイロリの生活が維持されていたために農家の生活状態が旧時のままに保たれていた。
建物群の保存状態は、母屋や蔵・薪小屋において建具、土壁に一部痛みや崩落が認められるものの、構造材についてはなんら問題なく、物品の散乱はあるものの全体的にはおおむね良好な状態であった。
母屋の構築時期は幕末期と思われるが、周囲の景観と合わせ見たとき、清瀬でこれほどまとまった姿で旧時の農家の姿が保存されていた事例は他にはなく、屋敷森・母屋・蔵・外便所・薪小屋などをふくめ、古き清瀬の農家形態をそのままに観察できる最後の調査事例であった。
〈清掃を主体とする初期調査協力者及び調査企画者〉
1998年 4月 協力 浅見 潤 猪口豊喜 須田 修 本荘剛志 望月康宏 横 靖夫
調査企画 清瀬市郷土博物館 学芸員 内田祐治 嘱託東野豊秋
〈実測、撮影を主体とする初期調査〉
1998年 6月 内田祐治 東野豊秋
〈本格調査〉
1998年 7~8月 後述(森田寿吉家調査報告書)
映像記録 内田祐治 東野豊秋
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森田寿吉家本調査報告書 |
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Ⅰ. 調査の概要
1. 調査の内容
調査は1998年7月18日に伝統技法研究会主催の特別講座「民家調査入門」を兼ねて予備調査を行い、7月31日に、以下の項目について本調査を実施した。
・主屋と2棟の蔵の現状平面の実測。
・主屋と2棟の蔵の断面の実測。
・主屋の立面4面の実測。
・主屋の痕跡調査と復元的考察。
8月5日には写真撮影を行い、その後、8月12日には千葉大学名誉教授の大河直躬先生に見ていただき、所見を伺った。また、8月30日には補足調査を行った。
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2. 調査参加者と執筆者
参加者
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梶原 勝(文化財コム) |
児野幸秀(伝統技法研究会) |
梶原喜世子 (文化財コム) |
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遠藤裕子(伝統技法研究会) |
三浦大司(文化財コム) |
金田正夫(伝統技法研究会) |
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戸張公之助(伝統技法研究会) |
久芳悦子(伝統技法研究会) |
伊郷吉信(伝統技法研究会) |
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内藤紀子(伝統技法研究会) |
大平茂男(伝統技法研究会) |
酒井 哲 (鈴木喜一建築計画工房) |
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大平秀和(伝統技法研究会) |
佐久間理英(中央工学校学生) |
角野茂勝(伝統技法研究会) |
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石川拓郎(中央工学校学生) |
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執筆者
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Ⅰ. 調査の概要 |
------------- 大平 茂男 |
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Ⅱ. 建物の概要 |
------------- 大平 茂男 |
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Ⅲ. 痕跡と復元平面 |
------------- 角野 茂勝 |
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Ⅳ. 森田寿吉家の歴史的背景と類型調査 |
------------- 戸張 公之助 |
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Ⅴ. 調査図面及び調査野帳 |
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Ⅱ.建物の概要
1. 概 要
主屋の規模は、桁行9間(16.46m)、梁間4間(7.24m)、トタン葺きの入母屋造りで、周囲にぐるりと下屋庇を廻している。南側(正面)下屋部分は、土間側が土庇で、座敷側は濡縁となっている。西側は縁側で、北と東側は屋内に取り込まれた下屋部分である。
西北の隅には、便所が取り付いている。土間以外の各部屋は開口部が広くとられ、開放的で明るい。小屋裏部屋の南側には窓を設け、格子を入れている。
2. 間取り
正面より入って右側(東側)にドマがあり、西側は床上部分になっている。床上部分はドマに沿って正面側にザシキ、奥にカッテを並べ、その西上手にオクザシキとナンドを配した「喰違い四つ間型」である。
オクザシキの西側には床の間があり、天井は高さ約2780mmで棹縁天井が張られ、差鴨居以外の場所には長押が廻っている。ザシキは、西側(オクザシキ側)に神棚あり、北側の格子戸を開けるとカッテに置かれた仏壇が拝める。床は敷居の側面や柱の下部の汚れに差がないことや、床板が仕上げられていることから、当初から板張りと考えられるが、板厚が13mmと薄く、歩くとしなってしまう。天井は高さ約2370cmで、根太天井になっており、上部を小屋裏部屋としている。
カッテは、ドマ境に囲炉裏があり、北側にはドマから使う流しと、半分が床上にかかった出窓が設けられ、窓は板格子に障子紙が貼られている。囲炉裏の正面側には、風除と視線を遮る目的で、土間に半分突出して引き違いの格子戸が設けられている。
ドマは、ほぼ中央に柱が建ち、北寄りに大ガマとヘッツイが残されている。出入り口は、正面に2箇所と裏(北側)に1箇所ある。正面はいずれも大戸で、床上近くの大戸には潜り戸が付いている。
3. 構 造
土台は約110mm×130mmで、側廻に廻し 、他は直接礎石に柱が建つ石場建てである。
柱は面の取られた角柱で、壁部分は3尺ごとに、開口部は1間ごとに入れることを基本にしているが、部屋境は差鴨居を入れるなどして中間には柱を立てていない。柱の太さは数種類あるが、多くは約120mm角で、長さ(礎石上から桁上まで)は、上屋部分で約
4.2mである。ドマ境の中央には、303mm×333mmの大黒柱が立ち、ドマには234mm×234mmの柱が建つ。大引は約130mm×170mmで梁間方向に1間ごとに渡し、大引間に根太を架けて床を張る。
軸組は貫と差鴨居により、固められている。差鴨居はオクザシキとナンド境、オクザシキとザシキ境、ザシキと土間境、ザシキとカッテ境に用いられている。
小屋は当初茅葺きで、梁間方向に長さ3間の上屋梁を架け、この梁上でサスを組み南側に3尺、北側に1間の下屋を葺き下ろしていたと考えられる。上屋梁の一端は南側の外壁に合わせ、ここから3尺の下屋を出し、濡れ縁としている。北側は1間を下屋としているが、上屋梁端部には柱を立てず、端部から3尺入った柱から北側外壁の下屋柱まで控え梁を架け、その上に立つ束で支えている。
上屋梁より上部の小屋組は、茅葺きからトタン葺きに替えられたときに、サス組から和小屋に改造されている。上屋梁の上から束により支えられている2段目の梁は、径が約162mmの丸太であるが、改造した部分で、この材のみが角材ではないことから、元のサス材が転用されている可能性もある。
4. 建物の特徴
間取りは、下宿に移築復元されている旧森田家の、江戸時代末期から明治初頭ころとほぼ同じ、「喰違い四つ間型」である。オクザシキとザシキの柱の一部と、大黒柱、ドマの中央の柱、および、帯戸や格子戸は漆が塗られている。また、オクザシキの床の間は西側の縁に突出する形で設けられている。
構造的特徴としては、柱の長さが比較的長く、上屋の一端を外周に合わせているので建ちが高くなっていることが挙げられる。これは、外観を立派に見せると共に、オクザシキの高い天井(2780mm)を張るためと、ザシキの上の小屋裏に床が張られ、格子窓が付いていることから、養蚕を行う空間の確保、等の理由が考えられる。
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Ⅲ.痕跡と復元平面
今回の痕跡調査は目視の範囲で行われ、聴き取り調査は行っていない。建物の改造状況を述べてから、痕跡をもとにして復元平面図を作製する事にした。
森田寿吉家は、近年になってからの改造が少なく、当初の形をかなり残している建物である。しかし、ナンド、カッテ部分は、古い時期にかなり改造されており、不明な点が多い。屋根に関しては、茅葺き屋根から金属板に葺き替えられているため、上屋梁より上の小屋組は、改造されている。創建当初は叉首サス組であったが、現在は和小屋になっており、上屋梁の両端には叉首穴の痕跡が残されている。
1. 各部屋の改造状況
・ザシキ … |
改造は、されていない。 |
・オクザシキ… |
大きな改造は、されていない。 |
・ド マ … |
以前はうまやがあったが現在は、すべてドマとして使用している。
大戸部分にガラス戸が、付け加えられている。 |
・ナンド … |
北側へ半間増築している。 |
・カッテ … |
北側へ半間増築しているようである。および、ドマ側に約半間床を延ばしている。 |
2. 痕跡にもとづく復元考察
・ザシキ …
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創建当初より現在まで、改造はされていないようである。ただし、仏壇の置かれている位置(カッテ)は、横にオクザシキに入る板戸があるので、他の位置にあったと考えられる。 |
・オクザシキ… |
「に・四」の位置の床下と差鴨居の上には、同寸法の柱が残存している。
「に・六」柱の上部には継手が見られる。「に・二」柱の東面、「に・六」柱の西面には壁等の痕跡はない。
以上から、当初は、オクザシキとナンドの境である「に・四」の位置に柱が立ち、両側には建具が建て込まれていたことが推定できる。 |
・ドマ … |
「十六」通り「い~ほ」間の梁下に柱のホゾ穴がある。また、「ほ」通りの「十
五~十九」間の梁下にも柱のホゾ穴が残されている。これらの痕跡と類型調査り、「い~ほ」間、「十六~十九」間の部分に、ウマヤがあったことが推定できる。
「ほ・十二」柱は後補の柱であり、「ほ」通り「十~十二」間の建具は後補である。
「い」通り「十三~十七」間の桁上端に、軒先の茅がずり落ちるのを防ぐ縄を引っ掛ける「ちくじょう」の痕跡が数ヶ所見つかる。これにより、ドマの北側は、「い」通り「十~十九」間まで屋根が葺き降ろされていたことが判明した。 |
・ナンド … |
「ろ・二」「ろ・三」「ろ・六」の梁上に切断された柱が残されている。
「ろ・二」「は・二」の床下には柱が残され、「は・六」の床下には礎石が残されてる。また、「ろ・五」の地面は掘られた形跡があり、すぐ脇に玉石が残されている。
「い」通り「二~六」間の柱5本は後補材である。また、「に・二」柱の北面には、間渡穴の痕跡が残る。
以上から、「ろ・二」「ろ・三」「ろ・六」「は・二」の位置に、柱が立ち、「ろ」通リ「二~六」間は外壁で、「二」通り「ろ~に」間は壁であったと推定できる。しかし、「四」通りの「い~に」間に大引きが渡されており、現在の壁の位置が当初の壁とも考えられる。この場合は柱が部屋内に立ち、不都合となる。
「六」通り「ろ~に」間は、類例から引き戸が建て込まれていたと推定できる。 |
・カッテ … |
「ろ」通り「六~十」間の梁下に、壁および柱の痕跡が有り、「ろ・八」の位置の床下に柱が残存している。これらからは、「ろ」通り、「六~十」間は当初は外壁だったと考えられるが、「カッテ」が狭くなり、やや不自然な感じがのこる。今回の調査からは、確証を得るには至らなかった。 |
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Ⅳ. 森田寿吉家の歴史的背景と類型比較
1. 江戸後期野塩の概況と森田家
新編武蔵風土記稿は、森田家寿吉家住宅が所在する現在の清瀬市野塩の文化・文政期(1804~1818)頃の概況を以下のように簡潔に綴っている。
「野塩村は、南は下里・小山の両村に接し、北は柳瀬川かぎれり。東西およそ八町、南北三十町ばかり。西の南秋津村より、東の方上清戸村へ達する一条の道あり、村にかゝることおよそ八町余。用水には村山川を引き用ゆれど、しばしば旱損の患えあり、地形平にして土性は真土黒土交われり。田少なく畑多し。民家四十五軒。……中略」。
森田家の家系は、残されている資料から、文化4年(1807)出生した森田三右衛門までさかのぼることができる。三右衛門は文化・文政・天保の時代を生きたことが判明しているが、それ以前のことは判らない。
三右衛門の青年期は、上記の新編武蔵風土記稿の編纂されていた時代と重ることから、同家は、文中に示されている野塩集落の総戸数45軒の中に含まれていたものと考えられる。
2.市有形文化財・旧森田家との類型比較
森田家寿吉住宅の特徴を考える上で、類例として比較できるものに、市内の下宿に移築復元されている市有形文化財・旧森田家(以下、旧森田家とする)がある。
旧森田家は、1984年(昭和59)に移築されるまでは、同じ野塩集落にあったもので、家系が古く、16世紀後半に野塩に定住したと推定されている。幕末には名主を勤めた家柄で、この村落の上層農家と位置付けられる。
野塩集落には、ほかにも森田姓の家が多く現存することから、同族型村落の色彩が強い。一般的に同族型村落では、系譜の新旧は家格の高低と重なっているのが普通であった。森田姓を名乗る少数の本家層と、そこから分家した森田家の分家層があって、森田寿吉家はその何れに属するものか、資料不足から判別できないが、後述する規模や床の間の造りなどから、後者と考えられる。
森田寿吉家と旧森田家を類型比較して、主な点を以下のように挙げてみた。
(1) 間取り … |
間取りの基本形は、喰違い四つ間型で、土間部の広さや大戸口の位置、土間の一部の厩の配置、縁側の取り付く形なども、森田家住宅、旧森田家とも共通している。
喰違い四つ間型は、間取りの変遷過程で、歴史的には「田の字型」と呼ばれる整形四つ間型に先行するが、その意味で旧森田家は、創建時の古いことをを示している。
ただし、旧森田家の規模が桁行き9間半、梁間4間に対して、森田家寿吉家住宅は桁行き9間、梁間は後述するように、当初は上がり床部分が3間半と推定され一回り小さい。 |
(2) 軸組の架構… |
両家を比較して違いの目立つものに、軸組の架構がある。土間境の上がり際筋に立つ柱の状態それで、両家とも土間境の中央位置にともに大黒柱が立つが、旧森田家では、大黒柱に並んで「カッテ」側にもう1本柱が立っている。
また移築時の解体調査では、創建当初は大黒柱の左右に1間ごとに柱が立ち並んでいたことが確認されている。1間毎に柱の立つ旧森田家の形は、推定されている創建年代(18世紀後半から19世紀の前半)に呼応しており、年代の古さを示している。
これに対し、森田寿吉家では、大黒柱1本が立のみで、当初からその左右は柱を立てゝいたあとが見られない。
もう1つ、指摘したいのは建物の高さである。具体的には石口(礎石の上端)から上屋桁の上端までの高さで、旧森田家の約3.9mに対し、森田寿吉家はでは約4.2mで、
0.3m(1尺)高い。
建物の軒高は、一般的に時代が下がるに従い高くなる傾向が見られることから、前者の創建年代に比して、間違い無く後者は新しいと考えられる。 |
(3) 床の間 … |
書院造りの主要な要素の一つである「床の間」の導入は、身分差の厳しい社会では、上層農家からはじまっている。やがて、四つ間型の成立にしたがい一般民家に普及するが、家の格差は床の間の造りにも反映されている。
旧森田家の床の間は、奥座敷に南面して設け、床脇に半間の柱間に簡素な平書院の窓を設けている。これに対し森田寿吉家は、奥座敷の西北隅に西面を背にして東面して設けられ、書院はない。ここには、旧森田家に比して造りに格差が見られる。分家筋として控え目にしたのであろうか。あるいは建て替えに際して、以前の建物を継承しているのであろうか。ちなみに、幕政時代は建て替えに際し、原則として代官への届を「元坪之通り」するのが建前とされていた。 |
(4) 創建年代 … |
現在までのところ、森田寿吉家の創建年代を示す棟札や部材に記るされた墨書の類いが見つかっていないので断定はできないが、上記の(2).(3) に示すように旧森田家との対比から、創建年代は19世紀後半の幕末までさかのぼるものと推定される。 |
3. 森田寿吉家の特徴とまとめ
森田寿吉家の特徴は、以上のように旧森田家との類型対比することで捉えることができる。それは裏返せば、旧森田家の特徴をより明確にすることでもあり、つまりは江戸時代後期の清瀬の様子を、複数の歴史的建物によって、より厚みのあるものにしてくれることを意味している。
移築した旧森田家1棟をもって、清瀬の民家と在りし時代の全てを語ることは難しいように思われる。
森田寿吉家は、別項のように屋根の葺替えや、上がり床部分の裏手で一部建増しするなど手を加えているが、全体に建築当初の形がよく残されており、損傷も比較的に軽微と見受けられた。
何よりも、母屋の他に土蔵も残されており、建物を囲んで樹木と竹林など、農家の原風景とも言える敷地環境が総体として残されているところに、森田寿吉家の最大の特徴があると言えよう。
東京都下でこうした屋敷ぐるみの民家の存在が希少となった現在、この歴史的な農家の原風景を活かした利用が強く望まれる。
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各種写真・図面表示欄 |
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母屋正面 |
座敷
奥座敷 |
座敷
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勝手 |
土間 |
外便所 |
裏蔵
薪小屋 |
前蔵
屋敷神 |
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母屋関係図面類
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現況平面図 |
現況断面図 |
復元平面図 |
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母屋関係野帳図面類
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側面図1
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側面図3
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側面図4
東面 |
断面図1
棟断面 |
断面図2
座敷側 |
断面図3
土間側 |
断面図4
座敷奥座敷境 |
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土蔵関係野帳図面類
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前蔵
立面図 |
前蔵
平面図 |
前蔵
断面図 |
裏蔵
図面類 |
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