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古民家調査報告 1-4 (旧森田増治氏宅)

 森田増治家主屋解体にともなう埋蔵遺構発掘調査報告(2)
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3. 遺物
 今回の森田家母屋の新築工事に伴う発掘調査では、縄文、平安、江戸時代以降の各遺物が出土した。
 内容は、縄文時代早期の土器、平安時代の須恵器・土師器、江戸時代以降の陶磁器・泥面子・瓦・砥石・石盤・煙管・引出金具・竈金具・古銭・ガラス瓶などであるが、そのうちでも比較的多く出土しているのが平安時代の須恵器 、近世陶磁器、古銭である。
 縄文、平安時代の遺物については周域域に広がる当該期の遺跡と関係をもつものであるが、近世の遺物に関しては、母屋の前身となる建物跡と直接に関係するものも多く含まれている。なお、遺物番号は時代と材質別に分けた上で通し番号を付している。

【縄文時代】
 1.鉢…  口縁部の破片で、外面にLの原体による左斜する撚糸文が施され、口唇部断面が丸味をもつ。胎土に金雲母を含み、器厚は6.5mm。

 2.鉢…  胴部破片で、外面にLの原体による縦位の撚糸文が施されている。内面は粗く、胎土には白い砂粒を含む。器厚は7mm。 

【平安時代
 この時代の遺物は60点以上を数えるが、本項では比較的特徴を把握し得る13点を選び説明を加えていく。これらはすべて須恵器である。
 なお、説明の最初に記す事項は左から右へ順に、口径、器高、底径、色調で、数値に付された括弧は推定値を表記している。
 1.坏 … (11.9)cm /3.8cm /5.8cm /青灰色
 完形の1/4ほどの破片で、器形は体下端から内弯気味に開き、口縁でわずかに外反する。底に回転糸切痕を残し、調整は外縁部を雑に撫でる程度である。胎土に径1mmほどの微石粒を含み、硬質で焼成温度が高かったようである。
 9世紀第3四半期頃に位置づけられる。
 2.坏?…   ─  / ─ / (5.5)cm /明褐色
 底から体部にかける破片で、底に回転糸切痕を残し、その後の調整は加えられていない。胎土に径1mmほどの微石粒を僅かに含み、酸化焔焼成のためやや軟質。
   3.碗…    ─  / ─  /(5.5)cm /青灰色
 完形の1/5程度の破片で、器形は体下端から口縁へと内弯気味に開き、口縁の外反は見られない。底に回転糸切痕を残し、調整は外縁部を撫でる程度である。胎土には径1mm前後の微石粒を多く含み、焼成温度が高く硬質。
 9世紀第2~3四半期頃に位置づけられる
 
 4.高台付碗…    ─  / ─  /(5.5)cm /白灰色
 底部の小破片で、全体的に粗雑な作りである。底に回転糸切痕を残し、胎土には径1mm前後の微石粒をやや多く含み、焼成温度が低くやや軟質。 
   5.甕…    ─  / ─ /  ─  /白灰色
 口縁部の小破片で、外面に櫛引きの波状文が認められる。胎土は微石粒を含まぬ精良なもので、焼質も硬質である。
   6.甕…    ─  / ─ /  ─  /白灰色
 頸部の小破片で、他は5の記述と同じ。 
   7.甕…    ─  / ─ /  ─  /青灰色
 頸部の小破片で、他は5の記述と同じ。
   8.甕…    ─  / ─ /  ─  /白灰色
 胴部の小破片で、外面に浅い平行叩き目文、内面に素文の当具痕を残す。胎土には微石粒が僅かに含まれ、焼質は硬質。
 内面の当具が素文のため9世紀以降の製品と思われる。
 
   9.甕 …    ─  / ─ /  ─  /白灰色
 胴部の小破片で、特徴・年代は8の記述と同じ。
 
  10.甕?…    ─  / ─ /  ─  /灰色
 肩部付近の破片で、外面に自然釉が厚く掛かる。胎土に径1mmほどの微石粒を少量含み、硬質。 
  11.甕?     ─  / ─ /  ─  /灰色
 胴部の小破片で、外面に自然釉が掛かり、その釉下に平行叩き目文らしき痕跡が認められる。
 10と同一個体片の可能性がある。
 
  12.壺…     ─  / ─ /  ─  /灰色 
 把手部の小破片で、孔は把手の接着後に穿孔されたものである。胎土に径1mmほどの微石粒を少量含み、硬質。
  13.壺…      ─  / ─ /  ─  /灰色
 肩部の小破片で、外面に自然釉が厚く流れる。胎土に径1~2mmほどの微石粒を少量含み、硬質。 

【江戸時代以降】
[陶磁器]
1.灰釉折縁皿(陶器)   ─  / ─ /  ─
 礎石番付(の五)壺掘地形内出土。体部から口縁部にかける破片で、丸味をもって立ち上がる体部を外側へ屈曲させ、口縁部を作り出している。
 17世紀初頭から中葉頃の瀬戸・美濃系の製品。  
2.灰釉菊型皿(陶器) 2.7cm /(13.6)cm /(7.7)cm
 第2土間面形成土から出土。底部から口縁部にかける破片で、内面に打型成形による菊形文が認められ、製作時に併用された細かな布目痕も残されている。体部は丸味をもって立ち上がり、花弁状の刻線が施されている。灰釉は黄味をを帯びた灰色で、内面から外面の体部下まで掛けられている。
 17世紀中葉から18世紀初頭頃の瀬戸・美濃系の製品。
3.輪禿皿(磁器)  ─  / ─  /(4.4)cm
 礎石番付(に二十・ろ二十)間中央の壺掘地形内出土。底部から体部にかける破片で、削り出しによる高台脇に削り込みが入り、断面台形を呈す。高台内には左回転の削り痕が残る。内面の1.55cm幅の輪禿部分には砂の溶着があり、釉はそれと高台部を除く全面に施されている。
 17世紀後半から18世紀前半の肥前波佐見系の製品。
4.輪禿皿(磁器)  ─  / ─  /(3.6)cm
 礎石番付(ぬ九)付近の第2土間面直上から出土。底部から体部にかける破片で、器形、釉調、年代、産地とも3に同じ。
5.染付碗(磁器)  ─ /(10.0)cm /─
 柱穴跡P1柱痕内出土。体部から口縁部にかける丸腰の碗片で、くす味をもつ素地に呉須で草花文や丸文を絵付けしている。
 17世紀後半から18世紀中葉の肥前波佐見系の製品 
6.染付端反り碗(磁器)  ─ /(10.6)cm/─
 礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。体部から口縁部にかける破片で、丸腰に外反気味の口縁部をもつ。青味の強い呉須を用い、外面に風景文、内面上端に幅3mmの条線が巡る。なお、口縁部には白玉粉による焼き継ぎの補修がなされている。
 19世紀初頭から中葉までの瀬戸・美濃系の製品。
7.灰釉象嵌大鉢(硬質陶器)   ─  / ─ /  ─
 礎石番付(へ又十三)付近の地表面で検出。体部から口縁部にかける破片で、体部はやや丸味をもちながら立ち上がり、口縁部で外反する。口唇部は摘み上げられている。内面に印刻文が施され、その凹みに白土を入れてから灰釉が掛けられている。外面には灰釉と鉄釉が掛け分けられ、無釉の部分も見られる。
 17世紀後半から18世紀前半に生産された肥前武雄系の古唐津の製品。
8.鉄釉天目茶碗(陶器)  ─  / ─  /(4.8)cm
 炉跡R3内出土。底部から体部にかける破片で、垂直な削り出し高台脇に水平な削りを加えている。高台高は7.2mm、畳付きの幅4.5mm、高台内側は中心へ向かい高まり、中心の器厚は5mm。
 17世紀初頭の瀬戸・美濃系の製品。
9.鉄釉茶碗(陶器) (7.2)cm /(11.1)cm /(5.2)cm
 礎石番付(に五)付近の第2土間面形成土で検出。底部から体部にかける完形の1/2の破片で、丸腰から口唇部へわずかに外傾。高台は削り出しと思われ、外側は直立、内側は内傾。高台は畳付部の幅が4mm、高さは9mm。体部内外面にはロクロ水引きによる整形痕を明瞭に残し、釉は内面から外面体部下端付近まで掛けられている。
10.灰釉鉄釉塗り分け茶碗(陶器)    ─ /(9.1)cm / ─ 
 礎石番付(に五)付近の第2土間面形成土で検出。体部から口縁部にかける破片で、腰部が丸味を帯び、外面にロクロ引きの整形痕を残す。釉は外面の口縁から内側へ掛けて灰釉が、また外面の中程から体下端まで鉄釉が掛け分けられている。
 18世紀中葉から後半頃の瀬戸・美濃系の製品。
11.灰釉鉄絵茶碗(陶器) (4.7)cm / ─  / ─ 
 礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。高台から口縁部にかける破片で、わずかに内弯しつつ開く。高台は削り出しで断面V形を呈し、高台脇に水平削りが施されている。釉は高台部を除く全面に掛けられており、淡い黄白の色調。
 本片は文様部を欠損するが、その特徴から18世紀後半頃の信楽地方でつくられた鉄絵の小杉茶碗である。
12.半筒型茶碗(磁器)   ─  / ─ /  ─
 礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。口縁部の小破片で、素地は灰色を呈し、外面には交互条線で埋めた丸菊文を青味の強い呉須で描いている。また、口縁内面には幅3mmの線が巡る。
 19世紀中葉の瀬戸・美濃系の製品。
13.端反り茶碗(磁器)   ─  / ─ /  ─
 礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。口縁部の小破片で、素地は灰色を呈し、外面には交互条線で埋めた丸菊文を青味の強い呉須で描いている。また、口縁内面には幅3mmの線が巡る。
 19世紀中葉の瀬戸・美濃系の製品。

 礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。体部から口縁部にかける破片で、薄作りな口縁の外反する茶碗である。細筆とダミ筆を用いた草花文が描かれており、呉須ではあるがその色調は青黒く発色している。
 19世紀後半の瀬戸・美濃系の製品。
  14.クロム青磁釉茶碗(磁器) 3.3cm /(7.3)cm /(3.3cm)
 礎石番付(ぬ三)付近の地表面で検出。底部から口縁部にかける完形の1/2程度の破片で型成形品である。高台は内面が内弯し、蛇ノ目様に窪んでいる。高台高4mm。体部の文様は腰部から上に向かい連葉文状に型取られ、クロム釉が外面のみに施されている。
 大正時代の瀬戸・美濃系の製品。
 
  15.甕(硬質陶器)     ─  / ─ /  ─
 礎石番付(へ十一)壺掘地形内から出土。体部の小破片で、外面には光沢のない鉄釉が掛けられ、その上にゴマ状の溶着物が付着する。内面は無釉薬で、ロクロ水引きによる整形痕が残る。器厚は5.2~6.5mm。素地はやや灰色気味のベージュ色を呈する。
  常滑あるいは信楽系の製品と思われる
 
  16.鉄釉灯明皿(陶器)   1.8cm /7.2cm /3.9cm 
 礎石番付(ぬ九)付近の第2土間面形成土から出土。完形。体部はわずかに丸味をもって立ち上がり、口縁部内面には一本の削り込みの線がむ巡る。底部には回転糸切り痕が残る。素地は橙褐色で、光沢のない鉄釉が内面から口縁外面にかけて掛けられている。
 18世紀から19世紀前半の瀬戸・美濃系の製品。
  17.擂鉢(陶器)     ─  / ─ /  ─ 
 礎石番付(ぬ又十三)付近の地表面で検出。。体部破片で、内面には8条まで確認可能な櫛目が放射状に引かれている。外面にはロクロ引きの粗い整形痕が残されており、内外面に光沢のない茶色の鉄釉が掛けられている。
  18世紀の瀬戸・美濃系の製品。
  18.擂鉢(陶器)    ─  / ─ /  ─
 礎石番付(ぬ又十三)付近の地表面で検出。。体部破片で、内面に15条の櫛目が放射状に引かれている。外面にはロクロ引きの粗い整形痕が残されており、内外面に掛けられている鉄釉にはやや光沢がある。
  18世紀の瀬戸・美濃系の製品。
  
  19.擂鉢(陶器)     ─  / ─ /  ─
 礎石番付(ぬ又十三)付近の地表面で検出。。体部破片で、内面には11条まで確認可能な櫛目が放射状に引かれている。外面にはロクロ引きの粗い整形痕が残されており、内外面に光沢をもつ茶色の鉄釉が掛けられている。
 18世紀の瀬戸・美濃系の製品。
 
  20.焙烙(土器)   ─  / ─ /  ─ 
 礎石番付(へ十一)付近の第2土間面形成土から出土。底部より口縁部へかける破片で、体部が内弯気味に立ち上がり口縁端部は平坦。内耳が付き、その幅は中央で2.7cm、厚さ0.7~1.1cm。器厚は体部0.9cm~1cm、底部0.8cm。整形は底部外面から体部中程までが粗く、その上から内面にかけては横位の撫でが施されている。なお、なお、内面には使用時の煤が付着している。
  この類の焙烙は江戸時代の中でも形態変化が少なく、その時期を限定することが難しいが、内耳の接着の状態は比較的古い時期の様相を示している。
  21.戸車(磁器)   礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。完形。径7cm、厚さ1.7cm、孔の径2.1cm。断面の形状は中心に向かうほど厚さを減じ、輪の端部には幅3.6mmほどの面取りがなされている。釉は輪の外側と車軸の面に掛けられている。
[泥面子]  
 明橙色をした素焼きの製品で、すべて型オコシ成形である。  
   1.金太郎の顔  炉跡R10脇から出土。2.7×2.3cmの楕円形で、厚さ8mm。
   2.弁財天の顔  炉跡R10脇から出土。2.7×2.3cmの楕円形で、厚さ7mm 
[瓦]  
 瓦はすべて破損しており、特徴のある9点を選んで説明する。
   1.平瓦  炉跡R4内から出土。黒灰色で径2mmの孔が2箇所に穿たれている。 
   2.平瓦  礎石番付(ぬ七)付近の地表面で検出。色調は灰色
   3.平瓦  竈K6内から出土。色調は灰色。 
   4.平瓦   炉跡R5内から出土。表面の色調は黒色・銀灰色、裏面は白橙色。
   5.平瓦   礎石番付(ぬ七)付近の地表面で検出。色調は銀灰色で一部黒色。
   6.桟瓦   礎石番付(ぬ七)付近の地表面で検出。色調は黒灰色。
   7.丸瓦   礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。色調は黄味を帯びた白灰色。
   8.丸瓦   礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。色調は灰色、裏面に布目痕が残る
   9.軒丸瓦  礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。色調は灰色。軒平部分を欠損。
[石製品]  
   1.砥石  礎石番付(へ十一)付近の第2土間面形成土から出土。一部を欠損。断面台形を呈し、長さ10.4cm、幅3.3cm。研ぎ面は一面だけで、他の面には櫛歯タガネによる切り出し痕が残る。
   2.砥石  礎石番付(に十一)付近の第2土間面形成土から出土。完形。長さ14.4cm、幅2.6cm、厚さ1.2cm。研ぎ面は二面あるが、一方の面には平タガネによる切り出し痕が残る。
   3.砥石  礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。完形。長さ14.4cm、幅2.7cm、厚さ2.4cm。研ぎ面は四面あり、凹面をなす一面を除いた他は両端を使用した凸面を構成している。 
   4.砥石   礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。瓦片を砥石に利用したもので、長さ5cm、厚さ1.8cm。研ぎ面は瓦片の表と裏を主とするが、縁も使用している。
   5.石盤   色調は銀灰色で一部黒色。礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。長方形で縦19.7cm、横13.8cm、厚さ0.4cm。表面縁には枠線が刻まれており、枠内には「森田伊…」の姓名らしき三文字と、線書きの人物像?が描き込まれている。
[銅製品]   1~3.煙管   いずれも銅板を加工し、羅宇を差し込む形態で、吸い口、雁首、火皿に焼き継ぎによる接合の跡が残る。形状は、吸い口が口当たりの部分で丸味を帯び、羅宇差込部へ向かって円曲をみせながら徐々に太くなり、また雁首は火皿の付け根にかけて細まっている。
 1.は吸い口で、礎石番付(へ十一)壺地形内から出土。長さ5.4cm、羅宇差込部の径1cm、口当たり部6mmを計る。内部には径8mmの羅宇の竹材片が残る。
   2.煙管    雁首で礎石番付(へ十一)付近の第2土間面形成土から出土。各部の大きさは、長さ5.3cm、羅宇差込部径1.05cm、羅宇径8.5mm、火皿径1.75cm、付け根径6.7mm、高さ1.16cm。
   3.煙管   一揃いのまま炉跡R10脇から出土したもので、長さ20.6cm。各部の計測値は、吸い口が長さ6.4cm、差込部径9.5mm、口当たり径6.7mm。羅宇は差込間の長さ9.7cm、径8.8mm。雁首は長さ4.5cm、差込部径9.2mm、火皿下根元部径7.7mmで、ラッパ形に開く火皿部は径1cm、高さ7mm。なお、雁首上面は灰落としのさいの叩き付けにより窪みが生じている。
   4.引き手金具    礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。軸と手持ちの部分が接合されている金具で、軸の長さ6.6cm、その断面の形状は3.3mm角の四角形。手持ち部の長さは6cmで、断面径2.8mmの円形を呈し、軸との間隔を8.4mmとった鎹状の形態をもつ。
[鉄製品]  
   1.鎚   礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。長さ12.1cm、重さ198g。断面正方形の叩き面の幅は2.6cmで、使用により縁に潰れが生じている。その反対側は錐形で、これも使用により先端が潰れ0.7mmの面をなしている。柄穴は1.85×0.85cmの長方形で、その位置は主叩き面側へ3:5程度の比率で片寄りをもっている。なお、柄穴内には柄の断片と丸釘が残っている。
   2.竈掛け口の金具   炉跡R5内に検出。輪状のもので、幅が4.5cm、厚さ6~7cm。表面の両端に傾斜をもつ。
[ガラス製品]  
   1.瓶   炉跡R5内に検出。輪状のもので、幅が4.5cm、厚さ6~7cm。表面の両端に傾斜をもつ。礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。高さ5.9cm、幅2.8cm、厚さ1.7cm、口径1.5cmの角瓶。正面右側へ抉りが入り、頸部がやや曲がり、ガラス内には細かな気泡が含まれている。
   表面に以下の文字が鋳出されている。
       正面…「富山薬業株式會」
       裏面…「めぐすり 點眼水」
 
   2.瓶   礎石番付(へ九)付近の地表面で検出。高さ8.3cm、幅3.4cm、厚さ2.1cm、口径2.1cmの角瓶で、横に目盛りが鋳出されている。ガラス内には気泡が含まれており、色調は緑色味を帯びている
[古銭]  
 江戸初期のものから昭和へ至るものが33枚検出されている。
 内訳は寛永十三年(1636年)から十四年にかけて鋳造された寛永通宝が13枚。寛文八年(1668年)から明和六年(1769年)の初鋳年代をもつ寛永通宝25枚。幕末期の文久三年(1863年)鋳造の文久永宝2枚。江戸時代後期に縁起物として鋳造された戎金1枚。大正八年(1919年)の一銭銅貨と昭和十四年(1939年)の一銭アルミ貨が各1枚である。
 なお、寛永通宝は古寛永と新寛永に区別されるが、新寛永の明和期のものは四文銭である。また、戎金は正式な流通貨ではないが、銭の擬似形態をもって鋳造されているためこれらの範疇へ含めた。
 

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縄文時代
平安時代
 陶磁器    瓦1     瓦2    泥面子 
 石製品 
 銅製品  鉄製品
ガラス製品
  古銭1    古銭2  
江戸時代以降

 
4.年代

 本項では、各遺構検出遺物を基にして、母屋ならびにその前身である掘立形式建物の存続年代を推測する。
 右表は、これら遺物を出土状態に即して縦の時間軸(第1~3各土間面)へ当てはめたものだが、ここで用いている遺物は、いずれも出土状態が確かで、しかも生産・鋳造年代の考証が比較的進んでいる陶磁器類と古銭に限っている。また、第1土間面が掘立柱建物の機能した頃の面、第2土間面が解体された母家に伴う面であることはすでに別項で記してきた。

 各遺物の詳しい検出状況は遺構の項で記したが、陶4・古11の2点以外はすべて第1から第2土間面への過渡期を示す層中(陶8のみは第1土間面機能期間中)に包含されていて、いずれも掘立柱建物の存続期間中の消費物であったことが想定できる。
 これらは17から18世紀に限定される遺物で、そのなかでも生産年代が比較的古い陶1~3・5・8が建物出現の時期を表すものとして、また生産年代の若く見積もられる陶10・16が石場建形式の建物への移行時期を指し示す遺物として抽出される。
 これらに消費期間を加算して想定し、以下のような年代観が導き出された。

      掘立柱建物の出現期 … 西暦1600年代後半
      石場建建物の出現期 … 西暦1800年前後

 

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