清瀬市 まちの情報




 
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 大正13年(1924)に開設した清瀬駅の北側に位置し、昭和40年(1965)の住居表示の変更により上清戸の一部が「元町」となりました。平成7年の清瀬駅北口再開発で、近代的な景観をもつ商業地域として発展しています。
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 大正13年(1924)に開設した清瀬駅の南側に位置し、昭和39年(1964)の住居表示の変更により芝山地区の一部が「松山」となりました。
 駅から南へ商店が競い合うぎやかな「ふれあい通り」がつづき、小金井街道の南西側には、都会では見られないほどの豊かな緑に囲まれた病院地帯が形成されています。この環境のすぐれた地域には結核病学で世界最高水準の㈶結核予防会結核研究所もあります。
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 昭和39年(1964)の住居表示の変更により芝山地区の一部が「竹丘」となりました。
 
もとは、武蔵野の豊かな緑ひろがる雑木林の地帯でしたが、大正6年に東京府立清瀬病院(現、国立療養所東京病院)が開院し、昭和37年(1962)には竹丘団地が建設され、さらに平成元年(1989)にいたると日本社会事業大学も移転してきて、医療・福祉・大学のあるまちとして発展しています。
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 昭和39年(1964)の住居表示の変更により芝山地区の一部が「梅園」となりました。
 
この地域も、もと雑木林の地帯でした。ベトレヘムの園病院や信愛病院のほか、国立看護大学や救世軍清瀬病院のほか、日本社会事業大学も設立し、医療・福祉・大学のあるまちとして発展しています。
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 柳瀬川沿いの中里・下宿とともに、中世には水田を営む集落が発生していた地域で、そのころには現在の円福寺の前身となる福泉寺というお寺もありました。また、この地域からは古代の大規模な集落跡も発見されています。
 大正6年(1917)に秋津駅開設。以後、昭和38 年(1963)に都営野塩団地が建設され、平成10年(1998)には明治薬科大学が移転してきて、
大学のあるまちとして発展しています。
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 柳瀬川沿いの野塩・下宿とともに、中世には水田を営む集落が発生していた地域です
 昭和まで「万作」という田舎芝居が上演されていた中里氷川神社、富士山を信仰する冨士講による「火の花まつり」の行われる富士塚などある、古き景観をとどめる地域です。
 柳瀬川に沿う旧水田地帯に都営中里住宅が、また昭和47年(1972)には大規模な台田団地も建設され、農村のなかに都市景観が調和する地帯として発展しています。
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 柳瀬川沿いの野塩・中里とともに、中世には水田を営む集落が発生していた地域。現在の水再生センターの場所には下宿内山遺跡があり、古代の集落跡のほか中世の板碑も多数発見されています。江戸時代のはじめに「清戸本村」と呼ばれ、その後長く「清戸下宿」が定着。昭和45年(1967)の住居表示の変更により「清戸下宿」から「下宿」へと移り変わっています。
 円通寺から下宿八幡神社への道筋には、古き清瀬の景観がもっともよくのこされています。
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 この地域は河岸段丘の上位にあたり、古き集落の南方に広がる雑木林の地帯でした。
 昭和42年に大規模な旭が丘団地ができたことで、その年に住居表示の変更がなされ、清戸下宿から分かれ「旭が丘」となりました。この団地の南側は新座市ですが、ここには商店が建ち並び、市域を超えた経済圏を構築して発展してきた地域です。
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戦国時代末期、後北条氏の支配する河越城の勢力が長命寺を創建したのを契機に発達した集落です。志木街道沿いに下清戸から中清戸、さらに上清戸へと集落がひろがり、江戸時代はじめには青梅に産する石灰を江戸へ運ぶ中継地として、清戸下町・清戸中町・清戸上町として「町」の名で呼ばれていました。
 その後、石灰の輸送が減少するとともに純農村へと変貌し、下清戸村・中清戸村・上清戸村と呼ばれ、こんにちへ至っています。
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 戦国時代末期に発生した集落で、日枝神社には天正七年(1579)に当社が創建されたことを刻む石灯籠が奉納されています。
 この地域周辺は、志木街道に面して屋敷地がつづき、後背に畑が細長く広がる「街村」の集落景観をもつ地域で、ケヤキの巨木の並木が古き時代の街道の姿を映し出しています。
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 戦国時代末期に下清戸から中清戸をへて、さらに上清戸へと集落が広がったと伝えられています。
 これら三ケ村は台地上に位置し、柳瀬川沿いの水田を営める地帯とは地勢を違え、畑作地帯として発展してきました。しかし近年、この畑地に個人住宅や小規模集合住宅が進出し、三ケ村の広大な畑地を通して見えていた雄大な富士へ連なる山稜が、閉ざされようとしています。
 
   

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